天照大神(あまてらすおおみかみ)
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、現在の女性の太陽神で、前身が男性の古代太陽神の天照神(あまてるかみ)で、伊勢神宮内宮や元伊勢などに祭られて、元伊勢が元々の伊勢神宮の意味で、天照(あまてる;あまてらす)の称号が日本神話の太陽神と最高神の証(あかし)である。
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、卑弥呼や台与(とよ)を神格化したなど色々な説があるが、凡人(僕以外の人間)がそれらを証明できなくて、世界でただ一人の日本神話を完全解釈した超天才の僕にしか求められなくて、完全に決着した史実・真実・事実である。
『ホツマツタエ』のアマテルカミ(天照神)は、別名をアマテラスともヲヲンカミとも記して、アマテラスオオミカミ(天照大神)に語源変化したと考えられて、伊勢神宮内宮の太陽神が元々男神(おがみ)で、6世紀から7世紀に男神(おがみ)から女神に性別変更したと考えられる。
『ホツマツタエ』のアマテルカミ(天照神)は、最初が男性の古代太陽神で、日本神話の成立した4世紀後半から5世紀にアマテルカミと呼んで、日本の建国(天皇家誕生)の西暦84年にアマテルカミと呼んだと証明できなくて、6世紀から7世紀に女性の太陽神のアマテラスとヲヲンカミの呼び名ができて、アマテラスヲヲンカミ(神功(じんぐう)皇后を神格化)の子孫の仁徳(にんとく)天皇と継体(けいたい)天皇の女系男子天皇を定義したと考えられる。
『ホツマツタエ』は、6世紀頃の和珥(わに)氏の分家で、幾つもの名字(みょうじ)が別れたと証明できて、6世紀から7世紀に成立した日本最古の書物と証明して、男神(おがみ)の天照神(あまてるかみ)が6世紀から7世紀に女神の天照大神(あまてらすおおみかみ)に性別変更して、6世紀から7世紀にアマテラスとヲヲンカミの呼び名ができたと考えられて、男神(おがみ)から女神への変化を示す証拠である。
現在の皇室は、父方のアマテラス(倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)の子孫だが、生涯独身で子孫がいなくて、母方のアマテラス(神功(じんぐう)皇后を神格化)が現在の皇祖神(こうそしん;皇族の祖先神)で、孫の仁徳(にんとく)天皇の子孫が途絶(とだ)えて、神功(じんぐう)皇后から9世代から11世代ほどの子孫の継体(けいたい)天皇から今の天皇陛下まで、血筋が途絶(とだ)えない女系男子天皇とする。
6世紀から7世紀の天皇家は、将来的に男系男子天皇の皇位継承問題が発生して、超天才の僕が女系男子天皇を推奨(すいしょう)する未来を考えて、男神(おがみ)の天照神(あまてるかみ)から女神の天照大神(あまてらすおおみかみ)に性別変更して、黒船来航や現代を予言した聖徳太子が現代の女系天皇や女性天皇の皇位継承問題を知って、計画したと考えられる。
男性の古代太陽神の天照神(あまてるかみ)は、別名を天照玉神(あまてるたまのかみ)や天照御魂神(あまてるみたまのかみ)や天照国照彦命(あまてるくにてるひこのみこと)や天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)や天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)などである。
女性の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)は、元々が男性の太陽神で、後世に女神に性別変更したと考える学者が多くて、『ホツマツタエ』の男性の古代太陽神アマテルカミ(天照神)がその答えである。
『ホツマツタエ』は、男性の古代太陽神の天照神(あまてるかみ)が登場して、女性の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)が蛇体の男性とする説があって、天照神(あまてるかみ)を始めとする古代太陽神にたどりつく。
最古の太陽神の宮司である彦坐王(ひこいますのみこ)は、男性の古代太陽神の天照神(あまてるかみ)と初代・大物主神(おおものぬしのかみ)と倭大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)と2代目・火明命(ほあかりのみこと)と饒速日命(にぎはやひのみこと)と天日槍(あめのひぼこ)などに神格化された。
古代の蛇体の太陽神は、7人の大物主神(おおものぬしのかみ)と伊勢神宮の横を流れる五十鈴川(いすずがわ)の流れを神格化した蛇神の滝祭神(たきまつりのかみ)と滝祭神(たきまつりのかみ)を怪物視した竜神の八岐大蛇(やまたのおろち)の3例だけと考えられる。
男性で蛇体の古代太陽神は、天照神(あまてるかみ)などの古代太陽神に神性を残して、女性の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)に性別変更して、男性や蛇体の太陽神の名残(なご)りや伝承を残して、今日(こんにち)の神話や伝承がごちゃまぜになって、僕にしか求められなかった。
鎌倉時代の京都にいた通海(つうかい)と言う僧は、伊勢神宮内宮の神(天照大神)が蛇で、斎宮(さいぐう;巫女)がその后(きさき)で、その証拠に大神(天照大神)が毎晩斎宮(さいぐう)の元に来て、斎宮(さいぐう)の布団に蛇の鱗(うろこ)が落ちたと『通海参詣記(つうかいさんけいき)』に記した。
中世の神道家たちは、天照大神(あまてらすおおみかみ)が蛇と言う考え方がだんだん作られて、15世紀の『元長修祓記(げんちょうしゅうばつき)』に「伊勢神宮の御神体は蛇体にて御座(ござ)す」と記した。
蛇神の天照大神(あまてらすおおみかみ)は、2つ以上の伝承があって、複数の古代太陽神が蛇神で、男性の古代太陽神の天照神(あまてるかみ)も女性の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)も蛇神と考えて間違いない。
『ホツマツタエ』の男性の古代太陽神アマテルカミ(天照神)は、女性の太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)の先祖だが、今の日本神話で、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫と曾孫として、系図を隠したけれど、天照神(あまてるかみ)と天照大神(あまてらすおおみかみ)が皇祖神(こうそしん;天皇家の祖先神)など、正体や特徴などを詳細にひもといた。
天照神(あまてるかみ)は、『日本書紀』が天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)と記して、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)とも呼んで、天照神(あまてるかみ)と火明命(ほあかりのみこと)と饒速日命(にぎはやひのみこと)の3神を合体して、3神共に男性の古代太陽神である。
『ホツマツタエ』は、イサナギ(伊弉諾)とイサナミ(伊弉冉)の長男がアマテルカミ(天照神)で、オシホミミ(忍穂耳)とタクハタチチヒメ(栲幡千千姫)の長男が2代目ホノアカリ(火明)で、その長男がニギハヤヒ(饒速日)で、次男がタケテル(武照)である。
イサナギ(伊弉諾;垂仁(すいにん)天皇を神格化)とイサナミ(伊弉冉;樺井月姫(かばいつきひめ)を神格化)の長女のアマテルカミ(天照神;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)は、先祖が2代目ホノアカリ(火明;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)で、その息子の兄の方がタケテル(武照;丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)を神格化)で、弟がニギハヤヒ(饒速日;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)である。
初代・火明命(ほあかりのみこと)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫で、天照神(あまてるかみ)と2代目・火明命(ほあかりのみこと)と饒速日命(にぎはやひのみこと)が同一神で、天照大神(あまてらすおおみかみ)の曾孫だが、先祖と子孫がまざって系図を混乱させて、凡人(僕以外の人間)が絶対に特定できない。
『ホツマツタエ』の初代ホノアカリ(誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)を神格化)は、アマテルカミ(倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)の孫でなく、ツキヨミ(月読;景行(けいこう)天皇)を神格化)の曾孫で、ニニギ(瓊瓊杵;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)とタクハタチチヒメ(神功(じんぐう)皇后を神格化)の長男で、子孫がいないと考えられる。
『ホツマツタエ』の2代目ホノアカリ(彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、アマテルカミの曾孫だが、正しく求めると先祖で、長男(異母弟)が物部(もののべ)氏の祖先神のニギハヤヒ(饒速日;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)で、次男が(異母兄)が海部(あまべ)氏の祖先神のタケヒテル(武日照;丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)を神格化)で、古代太陽神氏族の始祖(しそ;始まりの先祖)である。
古代太陽神氏族は、始祖(しそ)の彦坐王(ひこいますのみこ)を天照神(あまてるかみ)で、子孫の倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后を父方と母方の天照大神(あまてらすおおみかみ)に神格化して、先祖と子孫を明確に特定したのが超天才の僕だけである。
天照神(あまてるかみ)は、実在の初代である崇神(すじん)天皇の実兄で、太陽神の初代宮司の彦坐王(ひこいますのみこ)、伊勢神宮の斎王(さいおう;太陽神に仕える未婚の皇女)で卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)、摂政(せっしょう;天皇に代わって国政執行する役職)で台与(とよ)の神功(じんぐう)皇后の3人を神格化した。
男性の古代太陽神の天照神(あまてるかみ)は、太陽神の初代宮司の彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化したとほのめかして、子孫の倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后の2人も天照神(あまてるかみ)に神格化して、女性の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)が女性皇族の倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后だけを神格化して、彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化の存在を消して、天照神(あまてるかみ)を巡る混乱が生まれた。
古代太陽神と現在の太陽神は、太陽神の初代宮司の彦坐王(ひこいますのみこ)、その孫娘で伊勢神宮の斎王(さいおう;太陽神に仕える未婚の皇女)で卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)、曾曾孫の台与(とよ)で摂政(せっしょう;天皇に代わって政治する役職)の神功(じんぐう)皇后3人を神格化して、それらの関係を隠して日本神話を作成して、混乱したと考えられる。
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、女王の卑弥呼(ひみこ)と台与(とよ)を神格化したなど色々な説があるが、これに関して言うなら間違ってなくて、卑弥呼(ひみこ)と台与(とよ)が女王とするのが完全な勘違いで、世界でただ一人の僕しか求められない。
イサナギ(伊弉諾;垂仁(すいにん)天皇を神格化)とイサナミ(伊弉冉;樺井月姫(かばいつきひめ)を神格化)は、アマテルカミ(天照神;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)を生んで、諱(いみな;本名(ほんみょう)をワカヒト(若仁)と言うが、景行(けいこう)天皇の諱(いみな)を指して、アマテルカミ(彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の諱(いみな)と考えにくい。
皇族の諱(いみな)の仁(ひと)は、僕が清和(せいわ)源氏の芦田氏で、その先祖の清和(せいわ)天皇が初めて諱(いみな)の惟仁(これひと)を使って、今の天皇陛下が諱(いみな)が徳仁(なるひと)などだが、僕が記した『歴代天皇の隠された諱(いみな)』の章で、実在の初代の崇神(すじん)天皇が諱(いみな)を武仁(たけひと)で、5代目の仁徳(にんとく)天皇の諱(いみな)が鴨仁(かもひと)で、後に諱(いみな)の仁(ひと)が途絶(とだ)えたと考えられる。
イサナギ(垂仁(すいにん)天皇を神格化)とイサナミ(日葉酢媛(ひばすひめ)を神格化)の夫婦神は、富士山の南麓(みなみふもと)のハラミノミヤ(原見之宮)で、アマテルカミ(倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)を生んだ。
イサナギ(垂仁(すいにん)天皇を神格化)とイサナミ(日葉酢媛(ひばすひめ)を神格化)の夫婦神は、アマテルカミ(倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)を8年間身ごもって生まれて、垂仁(すいにん)天皇と皇后のカバイツキヒメ(樺井月姫)がヤマトヒメ(倭姫)を3年間身ごもって生まれて、天照神(あまてるかみ)がヤマトヒメを神格化して共通した。
父イサナギ(垂仁(すいにん)天皇を神格化)は、世継(よつ)ぎの子を願い得ようとして、富士山の山頂に登って、ヒ(陽)とツキ(月)を左右の目になぞらえて、清(きよ)めて祈って、母イサナミ(日葉酢媛(ひばすひめ)を神格化)の父トヨウケ(山代大筒木真若王(やましろのおおつつきまわかのみこ)を神格化)が東北地方のツキカツラギ(月葛城)のイトリヤマ(出羽(でわ)三山か?)で祈って、この結果で多くの人々の期待を背負って、アマテルカミ(倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)が生まれた。
父イサナギ(垂仁(すいにん)天皇を神格化)は、左目をヒ(陽)、右目をツキ(月)になぞらえて、姉のアマテルカミ(倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と弟ツキヨミ(景行(けいこう)天皇を神格化)が生まれて、名前を名乗ることになった。
アマテルカミ(日子坐王(ひこいますのみこ)と倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后を神格化)は、胎盤のまま生まれた神話で、3人の出生を神聖視させて、生まれそのものも特別と思わせるためと考えられる。
アマテルの語意(言葉の意味)は、アメミヲヤ(天祖;絶対の創造神)によって、アマヒ(天日;太陽)からミタマ(御霊)が分(わ)け降(お)ろされて、ヒト(人)に生まれたことを意味する。
父方のアマテルカミ(倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と母方のアマテルカミ(神功(じんぐう)皇后を神格化)の2人は、2人の先祖のアマテルカミ(日子坐王(ひこいますのみこ)を神格化)と合わせての3人の影響が政治・教育・倫理・哲学などの面で、極(きわ)めて大きくて、言い表せないほどの影響を後世に及(およ)ぼして、優秀な人物3人分の神格化と神話化だから当然である。
アマテルカミ(倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)は、トヨウケ(丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)を神格化)の孫フリマロ(景行(けいこう)天皇を神格化)を学友として、トヨウケの本拠地ヒタカミ(日高見;ひだかみ:東北地方南部のどこか)のミヤコ(都;宮城県多賀城市の辺り)で、祖父トヨウケ(山代大筒木真若王(やましろのおおつつきまわかのみこ)を神格化)からアメノミチ(天の道)を学んだ。
やがてアマテルカミ(倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)は、富士山の南麓(みなみふもと)のハラミノミヤ(原見之宮)で、ミヤ(宮;政治をする宮殿)を持った。
アマテルカミ(倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)でなく、ツキヨミ(景行(けいこう)天皇を神格化)は、ソフキサキ(十二妃;そふきさき)をもうけて、月毎(つきまい)に世話する当番が交代する妃の制度で、ウチミヤ(皇后)を含めて、合計で13人の妃を選んだ。
アマテルカミ(日子坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、暦(こよみ)を新しくして、この時にウリフツキ(閏月;うるうづき)ができたと考えられて、日本の建国(天皇家誕生)の時に暦法を日子坐王(ひこいますのみこ)が作ったと考える方が正しいだろう。
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、国生みの夫婦神の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子供とする場合と父親の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)だけで生んだ伝承があって、ちゃんと理由を説明できる。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)の妻の伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、垂仁(すいにん)天皇の3人の皇后を神格化して、この伝承が生まれた理由に間違いがない。
伊弉冉尊(いざなみのみこと;最初の皇后の狭穂姫(さほひめ)を神格化)は、火の神様の軻遇突智(かぐつち;狭穂彦王(さほひこのみこ)を生んで、火傷(やけど)を負って亡くなって、最初の皇后の狭穂姫(さほひめ)が実兄の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱で焼死して、息子が火夜子(ひよるこ;誉津別命(ほむつわけのみこと)を神格化)で、この伯父(おじ)と妹と息子を物部(もののべ)氏の火の神様に神格化して、これが両親か父親だけで生んだ伝承につながる。
伊弉冉尊(いざなみのみこと;2番目の皇后の樺井月姫(かばいつきひめ)を神格化)は、天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)を生んで、伊弉冉尊(いざなみのみこと;3番目の皇后の日葉酢媛(ひばすひめ)を神格化)は、月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)を生んで、樺井月姫(かばいつきひめ)と日葉酢媛(ひばすひめ)が物部(もののべ)氏でなく、子孫に火の神様がいない。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)と妻の伊弉冉尊(いざなみのみこと;3人の皇后を神格化)が健在の時は、両親が天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)を生んだ神話になる。
伊弉冉尊(いざなみのみこと;最初の皇后の狭穂姫(さほひめ)を神格化)が亡くなって、父親の伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化;樺井月姫(かばいつきひめ)と日葉酢媛(ひばすひめ)を伊弉冉尊(いざなみのみこと)に神格化しない)の場合は、父親だけで天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)を生んだ神話になって、史実(歴史上の事実)を基にした。
アマテルカミ(日子坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、政治で大きな改革をして、今で言う分州制(ぶんしゅうせい)のように全国を数ブロックに分けて、それぞれヲシカ(勅命治世官(ちょくめいちせいかん)を任命して統治して、その下に旧来のクニカミ(国守)がそれぞれの国々を統治した。
アマテルカミ(日子坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、刑法で新しい数量的に罪(つみ)を測(はか)ることのできるサガ(性;外からの影響で変わらない本質)を数(かぞ)えるミチ(道)を制定した。
この2つは、日子坐王(ひこいますのみこ)が実弟で、初代の崇神(すじん)天皇に進言して、定められた法律と考えられる。
アマテルカミ(日子坐王(ひこいますのみこ)と倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后を神格化)の影響は、教育・倫理・哲学などの面で、極(きわ)めて大きくて、クニカミ(国守)やモノノへ(物部;もののべ:警察官)たちのトミ(臣;家臣)が国民を教え導くべき役目を負うと改めて明確にして、教育立国の方向性を決定付けた。
そもそもアマテルカミ(日子坐王(ひこいますのみこ)と倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后を神格化)の思想は、人の真実(まこと)の幸せが何かを望(のぞ)み求めて、人々にその善(ぜん)を勧(すす)めることを目的として、またさらに人の真実(まこと)の幸せを解(と)き明かして行くため、人とは何かと言う哲学的な洞察を深めて、3人が追及した考え方と思われる。
アマテルカミは、ヒト(人)の成り立ちをイクラムワタ(五臓六腑;ごぞうろっぷ)の面からさらに掘り下げて考察を深めて、こうした理念の元に色々なミチ(道)を展開して、夫婦の道であるイセノミチ(伊勢の道)、世継ぎ子を願い得るためのヨツギノアヤ(世継ぎの紋)、また人々が天寿を全(まっと)うできるようにとの食養のミチ(道)、子供を育てる教育論などがある。
『ホツマツタエ』と『日本書紀』の天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話は、『ホツマツタエ』の女神ハナコ(花子)が『日本書紀』で、天照大神(あまてらすおおみかみ)と稚日女尊(わかひるめのみこと)に入れ替わって、『ホツマツタエ』と『日本書紀』の入れ替わりが『ホツマツタエ』が『日本書紀』より古い歴史書と証明した。
『ホツマツタエ』のソサノヲ(日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、ハナコ(倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)の入った忌衣殿(いんはとの)に斑小馬(ぶちこま)の遺骸を投げ入れて、ハナコが驚いて、機織(はたお)りの梭(ひ)が体に刺さって亡くなった。
『日本書紀』の素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)が神聖な機殿(はたどの)に入るのを見て、斑毛(まだらげ)の馬の遺骸を投げ入れて、天照大神(あまてらすおおみかみ)が驚いて、機織(はたお)りの梭(ひ)で、身体にケガをした。
『日本書紀』の素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、稚日女尊(わかひるめのみこと;大中姫(おおなかひめ)を神格化)が機殿(はたどの)にいて、斑駒(まだらこま)の遺骸を投げ入れて、稚日女尊(わかひるめのみこと)が驚いて、持っていた機織(はたお)りの梭(ひ)が体に刺さって亡くなった。
西暦251年の日本武尊(やまとたけのみこと)の反乱は、伊勢市の磯(いそ)神社で倭姫命(やまとひめのみこと)を殺して、倭姫命(やまとひめのみこと)の異母妹の大中姫(おおなかひめ)が4代目出雲国王の物部十市根(もののべのといちね)の正妻で、日本武尊(やまとたけのみこと)が反乱の終了後に出雲王国(物部(もののべ)氏)に亡命した。
倭姫命(やまとひめのみこと)と大中姫(おおなかひめ)は、日本武尊(やまとたけのみこと)の伯母(おば;父の姉)と叔母(おば;父の妹)で、日本武尊(やまとたけのみこと)が襲撃した伊勢市の磯(いそ)神社と亡命した出雲王国(物部(もののべ)氏)の神話で、天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話の一節で、史実(歴史上の事実)を神話化した。
天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話は、邪馬台国(やまとこく;大和国)論争の神話化で、西暦247年3月24日と248年9月5日の皆既日食で、卑弥呼(ひみこ)の殺害と新王の台与(とよ)の共立に当たるとか、敵対国の狗奴国(くぬこく)との戦争で負けて、卑弥呼(ひみこ)が殺害されたとか、わけの分からない説が多すぎる。
天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話は、邪馬台国(やまとこく;大和国)論争の他にも色々な説があって、天武(てんむ)天皇が素戔嗚尊(すさのおのみこと)で、妻の持統(じとう)天皇が天照大神(あまてらすおおみかみ)で、孫の聖武(しょうむ)天皇が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に当たる説もあるが、全く何の根拠もない架空の推論である。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、地上から高天原(たかまがはら;天上の神々の世界)にやって来て、天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)が誓約(うけい;5男3女神を生み出した神事)をしたり、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が高天原(たかまがはら;天上の神々の世界)で、数々の悪行を働いたりした。
ある時に天照大神(あまてらすおおみかみ)は、機殿(はたどの)に入ったのを素戔嗚尊(すさのおのみこと)が見て、機殿(はたどの)に馬の死骸を投げ入れて、驚いた天照大神(あまてらすおおみかみ)が先のとがった機織(はたおり)の梭(ひ)でケガして、怒った天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あまのいわと)の扉を閉じて、太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)がいなくなって、世界中が闇に閉ざされた。
天岩戸(あまのいわと)に閉じこもった天照大神(あまてらすおおみかみ)は、天岩戸(あまのいわと)から出すために諸神が会議をしてお祭りを開いて、騒がしいのが気になって、天岩戸(あまのいわと)を開いた天照大神(あまてらすおおみかみ)が出て来て、世界中に太陽の光が戻って、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が罪(つみ)をおかしたため、罰金と高天原(たかまがはら;天上の神々の世界)を追放して、一件落着となる。
天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話は、天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)を素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)が殺して、太陽神で父方の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と皇祖神(こうそしん;天皇家の祖先神)で母方の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)が入れ替わって、決して簡単に求められない内容である。
景行天皇60年10月2日(西暦250年11月上旬頃)に皇太子の日本武尊(やまとたけのみこと)は、皇居を出立して、東海平定の総大将として向かって、翌月の11月7日(西暦250年12月上旬頃)に日本武尊(やまとたけのみこと)の父親の景行(けいこう)天皇が崩御(ほうぎょ;天皇が亡くなること)して、皇太子の日本武尊(やまとたけのみこと)が不在で、誰が天皇になるか揉(も)めて、皇位継承権争いが起こった。
翌年の西暦251年(天皇不在の年)は、東海平定から帰還した皇太子の日本武尊(やまとたけのみこと)と息子と蘆髪蒲見王(あしかみかまみのみこ)と仲哀(ちゅうあい)天皇の最低3人で皇位継承権争いして、8月4日(西暦251年9月上旬頃)に日本武尊(やまとたけのみこと)が三種の神器を強奪して強行即位して、楮気に認められない日本武(やまとたけ)天皇(成務(せいむ)天皇)になった。
天皇不在の年10月7日(西暦251年11月上旬頃)は、日本武(やまとたけ)天皇が伊勢市の磯(いそ)神社のいる伯母(おば)の倭姫命(やまとひめのみこと)を殺して、太陽神に仕(つか)える巫女(みこ)を殺した太陽神殺しの汚名が皇室の禁忌で、日本武(やまとたけ)天皇の抹殺(まっさつ)命令が出された。
天皇不在の年11月4日(西暦251年12月上旬頃)は、日本武(やまとたけ)天皇の息子で、皇位継承者の蘆髪蒲見王(あしかみかまみのみこ)が山城(京都府南部)で戦死して、不利になった日本武(やまとたけ)天皇が出雲王国(物部(もののべ)氏)に亡命して、仲哀(ちゅうあい)天皇元年1月11日(西暦252年2月中旬頃)に仲哀(ちゅうあい)天皇が即位して、邪馬台国(やまとこく;大和国)の仲哀(ちゅうあい)天皇と出雲王国(物部(もののべ)氏)の日本武(やまとたけ)天皇の2朝廷並列時代に入った。
これは天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)を素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)が殺して、太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と皇祖神(こうそしん;天皇家の祖先神)の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)が入れ替わった天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話の真実である。
機殿(はたどの)は、天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)のいる伊勢市の磯(いそ)神社で、馬の死骸が素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)の軍勢で、機織(はたおり)の梭(ひ)が天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)にとどめを刺した状況と考えられる。
天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あまのいわと)に隠れたのは、倭姫命(やまとひめのみこと)の殺害で、皇族に認められない日本武尊(やまとたけのみこと)の包囲網と出雲への亡命で、天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あまのいわと)から出て来たのが神功(じんぐう)皇后の登場で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の罪(つみ)と罰金が日本武(やまとたけ)天皇の戦死と出雲の金銀財宝の没収である。
天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話は、父方と母方の天照大神(あまてらすおおみかみ)の世代交代で、母方の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の女系男子天皇を定義付けて、超天才の僕が気付くことを願った奇跡である。
天岩戸隠(あまのいわとかく)れ以前の天照大神(あまてらすおおみかみ)と天岩戸隠(あまのいわとかく)れ以後の天照大神(あまてらすおおみかみ)は、全く同じ同一神で、父系(男系)の天照大神(あまてらすおおみかみ)である神様の血筋が現在の人間の皇室に続いて、父系(男系)の天照大神(あまてらすおおみかみ)と初代天皇の神武(じんむ)天皇から男系男子天皇が続くと国民や世界中に信じられる。
しかし天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話は、父系(男系)の倭姫命(やまとひめのみこと)が一生独身で、父系(男系)の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)の血筋が途絶(とだ)えて、父系(男系)の太陽神による伝統の男系男子天皇の根拠を否定した。
母系(女系)の神功(じんぐう)皇后は、古代天皇家の武烈(ぶれつ)天皇まで血筋が続いて、新しい血筋の継体(けいたい)天皇から今の天皇陛下まで同族が101代続いて、現在の皇室が母系(女系)の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の血筋を受け継ぐか不明だが、母系(女系)の太陽神の血筋を受け継ぐと考えるしかない。
父系(男系)は、父の父…そのまた父とずっと父方を遡(さかのぼ)って、母系(女系)ならずっと父方を遡(さかのぼ)って、遺伝子なら父系(男系)が精子…Y染色体で、母系(女系)ならミトコンドリアDNAで遡(さかのぼ)って、男系男子天皇や女系天皇や女性天皇などの皇位継承問題に直結する。
この正しい史実・真実・事実は、男系男子天皇を否定して、女系天皇や女性天皇や女性宮家などの皇位継承問題を解決して、宮内庁や日本国政府や国民も絶対に無視できない緊急の問題で、僕が歴史研究の成果を公表すれば、日本中や世界中がどのように考えるかが大切で、『ホツマツタエ』の天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話の後がハタレ神話である。
アマテルカミ(倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)でなく、ツキヨミ(景行(けいこう)天皇を神格化)の治世(ちせい)は、成功を収(おさ)めて、祖父トヨウケ(丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)を神格化)の死後にトヨウケの遺言(ゆいごん)もあって、ミヤコ(都;皇居)を遷都して、人々の生活が豊(ゆた)かになった。
ミヤコ(都;皇居)は、富士山の南麓(みなみふもと)のハラミノミヤ(原見之宮)から志摩(しま;三重県東端)の伊雑(いざわ;磯部:いそべ)のイサワノミヤ(伊雑宮;いざわのみや)に遷都して、景行(けいこう)天皇の皇居が奈良県桜井市の纏向日代宮(まきむくひしろのみや;纏向(まきむく)遺跡)と所在地不明の志賀高穴穂宮(しがたかあなほのみや)の2つがあった根拠である。
都(みやこ)は豊(ゆた)かになって、うらやむ者たちが群(む)れ集まって悪(わる)さをして、これがハタレの乱の始まりで、アマテルカミ(景行(けいこう)天皇を神格化)の息子スサノヲ(日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)のアメノミチ(天の道)を得ない振る舞い(不倫)が火に油をそそいで、全国的にハタレの乱が広がった。
やがてハタレの乱(出雲の国譲(くにゆず)り神話)を平定したアマテルカミ(神功(じんぐう)皇后を神格化)は、クニ(国)を統治するカンタカラ(神器)にカガミ(八咫鏡;やたのかがみ)でなく、八重垣剣(やえがきのつるぎ)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)を入れ替えて、ミクサタカラ(三種の神器)として、人々が罪(つみ)に落ちていくのを防止するモノザネ(物実;ものざね:物事のもとになる物)がヤタノカガミ(八咫鏡)である。
アマテルカミ(景行(けいこう)天皇を神格化)の息子スサノヲ(日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)でなく、皇太子(孫)のオシホミミ(仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)にアマノヒツギ(天の日継ぎ;皇位)を委譲した後も、アマテルカミ(神功(じんぐう)皇后を神格化)が長寿で、それが苦(にが)い薬草のチヨミクサ(千代見草;菊)を常食したからと記す。
長寿だった3人のアマテルカミ(日子坐王(ひこいますのみこ)と倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后を神格化)は、アメノミチ(天の道)を守って、良い功績を上げた者を誉(ほ)めて、アマテルカミからヲシテ(璽;をして:誉(ほ)め名を記した文章)を下賜して、これが最高の名誉で、古い神社の境内(けいだい)に祠(ほこら)があって、璽社(おしでしゃ)と記すのがヲシテを入れた名残(なご)りだろう。
最晩年(さいばんねん)になったアマテルカミ(倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)は、伊勢神宮内宮の地(サコクシロ;賢釧:さごくしろ)に移動して、伊勢市の磯(いそ)神社で殺された倭姫命(やまとひめのみこと)と重なって、この時にフトマニ(太占;ふとまに)のワカ(和歌)を編集できたはずがない。
天照大神(あまてらすおおみかみ)の長男の忍穂耳尊(おしほみみのみこと)は、母の命令で葦原中国(あしはらなかつくに;地上世界)に降臨することになった時、葦原中国(あしはらなかつくに;地上世界)の敵対国の出雲を国譲(くにゆず)り神話で平定して、妻の栲幡千千姫(たくはたちちひめ)が息子の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を生んで、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を日向(ひうが;宮崎県)に降臨させた。
天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と入れ替わる月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)の孫の忍穂耳尊(おしほみみのみこと;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)は、妻の栲幡千千姫(たくはたちちひめ;神功(じんぐう)皇后を神格化)が息子の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと):即位しない応神(おうじんてんのう)天皇を神格化)を生んで、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が三種の神器を持って、日向(ひうが;宮崎県)に降臨した。
宮崎県(日向;ひうが)は、景行(けいこう)天皇が平定して、皇太子の誉田別尊(ほむだわけのみこと)が3才以降から暮らして、息子の仁徳(にんとく)天皇が生まれた土地で、天皇家の故郷で間違いなくて、超天才の僕にしか求められなかった。
アマテルカミ(神功(じんぐう)皇后を神格化)は、4世孫(息子)のウガヤフキアハセズ(誉田別尊(ほむだわけのみこと;即位しない応神(おうじん)天皇)を神格化)の時代まで生きて、京都府京丹後市の久次岳(ひさつぎだけ)山中の洞(ほら)で亡くなって、祖父トヨウケ(武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)の亡くなった所でもある。
久次岳(ひさつぎだけ)の麓(ふもと)は、比沼麻奈為(ひぬまない)神社を祭って、武虎別皇子(たけこわけのみこ)の墓(はか)と関係があるかもしれない。
アマテルカミ(神功(じんぐう)皇后を神格化)の死後は、アマノコヤネ(天児屋根命;あまのこやねのみこと:誰を神格化したか不明)が三重県伊勢市で、亡きアマテルカミに仕(つか)えて、アマノコヤネの子孫の中臣(なかとみ)氏(藤原氏)が代々これを引き継いだ。
亡くなったアマテルカミの奉仕(ほうし)は、初代の斎王(さいおう;太陽神に仕(つか)える未婚の皇女)の豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)、2代目の斎王(さいおう)の倭姫命(やまとひめのみこと)、3代目の斎王(さいおう)の五百野皇女(いものひめみこ)、アマノコヤネ(誰を神格化したか不明)の子孫の中臣(なかとみ)氏(藤原氏)が続いた。
神武(じんむ)天皇は、三重県熊野市から進軍して、途中で神様が現れて、毒気を吐(は)いて、皇軍を眠りについて、高倉下(たかくらした)と言う人物が夢で、天照大神(あまてらすおおみかみ)が武甕雷神(たけみかづちのかみ)と会話して、武甕雷神(たけみかづちのかみ)が高倉下(たかくらした)に神刀の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)を神武(じんむ)天皇に届けよとお告げした。
翌朝は、夢のお告げに従って倉を開けると、倉の底板に逆さに刺さる布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)があって、それを取って神武(じんむ)天皇の所に届けると、神武(じんむ)天皇も皇軍も、皆が目覚めた。
天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)が武甕雷神(たけみかづちのかみ;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)に遺言(ゆいごん)して、東征して来る孫の神武(じんむ)天皇(仁徳(にんとく)天皇を祖先化)を助けてほしいと願って、武甕雷神(たけみかづちのかみ;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)が家臣の高倉下(たかくらした)に布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)を神武(じんむ)天皇に届けさせたのを神話化した物語である。
つまり神武(じんむ)天皇(仁徳(にんとく)天皇)は、祖母の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)が武甕雷神(たけみかづちのかみ;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)に遺言(ゆいごん)して、家臣の高倉下(たかくらした)に布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)を届けさせて、神武(じんむ)東征(仁徳(にんとく)東征)をサポートした証拠である。
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后を神格化して、父系(男系)と母系(女系)の天照大神(あまてらすおおみかみ)が女系天皇と女性天皇の皇位継承問題に直結して、日本国内や世界中で考えるべき緊急の問題で、2025年1月27日の午前10時頃に記し終えた。
<参考文献>
『ホツマ辞典』
著者・池田満 発行・ホツマ刊行会
『完訳秀真伝(上巻)』
編著者・鳥居礼 発行・八幡書店
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社
『古事記(上)―全三巻―』
著者・次田真幸 発行・株式会社講談社
『BooksEsoterica第22号 天皇の本 日本の霊的根源と封印の秘史を探る』
若仁発行・株式会社学習研究社
インターネットの不明サイトから少々拝借
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