『三国志(さんごくし)・魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』

『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』は、古代中国の魏(ぎ)王朝(西暦220年建国から265年滅亡)が書き残した内容を西晋(せいしん)王朝の文官の陳寿(ちんじゅ;西暦233年出生から297年死亡)がまとめて、邪馬台国(大和国;やまとこく)の存在した3世紀中に書かれて、信頼性が高くて重要である。
『三国志(さんごくし)魏志(ぎし)巻三十(かんさんじゅう)東夷伝(とういでん;中国の東方に住む諸民族について書いた記述)倭人(わじん;古代日本人)』と言うバラバラの名前は、組み合わせて『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』の造語を作って、僕が著書で使うのが『三国志(さんごくし)・魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』の造語である。

『三国志(さんごくし)・魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』は、邪馬壱国(やまいちこく)と記して、『後漢書(ごかんしょ)』が邪馬台国(やまたいこく)と記して、「壱(いち)」と「台(たい)」の難しい漢字がよく似て、女王の壱与(いよ)でなく、壱与(いちよ)が正しい呼び方で、「漢委奴國王(かんいぬこくおう)」の金印も「かんのわのなのこくおう」と読んで、適当に省略すれば良い物でない。
日本語の発音は、正しく読むのが基本で、邪馬台国(やまたいこく)が邪馬台国(大和国;やまとこく)と呼んで、卑弥呼(ひみこ)が邪馬台卑弥呼(やまとひみこ)で、倭姫命(やまとひめのみこと)に当てはめて、台与(とよ)が台与卑弥呼(とよひみこ)で、神功(じんぐう)皇后の消された名前の豊姫命(とよひめのみこと)に当てはめて、狗奴国(くなこく)が「くぬこく」と正しく発音するなど、基本の基本が大切である。

『三国志(さんごくし)・魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』の登場人物は、女王国の卑弥呼(ひみこ)と邪馬台国(やまたいこく)を直接統治する男弟(だんてい)、反乱した男王(だんおう)、卑弥呼(ひみこ)の後を受け継いだ台与(とよ)の4人が日本神話のアマテラスとツクヨミとスサノオの3姉弟に神格化された。
女王国(伊勢国)の卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)と台与(とよ)の神功(じんぐう)皇后は、アマテラスで、倭姫命(やまとひめのみこと)の異母弟の景行(けいこう)天皇がツクヨミで、男王(だんおう)の日本武尊(やまとたけのみこと)がスサノオに神格化されて、『三国志(さんごくし)・魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』と日本神話の関係が明白である。
邪馬台卑弥呼(やまとひみこ)は、倭姫命(やまとひめのみこと)で、台与卑弥呼(とよひみこ)が神功(じんぐう)皇后の消された本名(ほんみょう)の豊姫命(とよひめのみこと)で、日本武尊(やまとたけのみこと)が「ヤマトタケル」の読み方が間違いで、『ホツマツタエ』から「ヤマトタケ」の読み方が正しい。

邪馬台国論争(やまたいこく)論争は、畿内説と九州説が中心で、出雲説や吉備(きび;岡山県と広島県東部)説や伊予(いよ;香川県)説などもあって、極端なのが沖縄説や北海道説やフィリピン説などだが、僕が完全に古代天皇家の邪馬台国(大和国;やまとこく)と特定した。
2002年10月頃に僕は、歴史研究を始めて、約半年後の2003年5月頃に邪馬台国(やまたいこく)論争の定説や異説を徹底的に研究して、1ヶ月ほどで成立した神技(かみわざ)で、2007年9月に出版した僕の最初の著書で、僕の自論を公表したが、当時の専門家(考古学会と歴史学会)が全く理解できない超知識だった。
邪馬台国論争(やまたいこく)論争の定説や異説は、何十も何百以上もの解釈がされて、現代哲学理論「現象学」の「思い込みの数だけ解釈がある」の通りで、思い込みの数だけ間違った解釈も増えて、正(まさ)にその通りの結果である。

邪馬台国論争(やまたいこく)論争の北九州4ヶ国(北九州の属国)は、末盧国(まつろこく)から伊都国(いとこく)と奴国(ぬこく)が南東に向かって、東に向かって不弥国(ふみこく)に着くが、新井白石(あらいはくせき)の定説が佐賀県松浦(まつうら)郡から福岡県糸島(いとしま)郡と福岡市に東北東に向かって、東南東に向かって福岡県粕屋郡(かすやぐん)宇美町(うみちょう)に着いて、滅茶苦茶な根拠である。
僕の自論は、蓑生(みのふ;福岡県福津市西部)から位登(いと;福岡県田川郡糸田町)と仲津(なかつ;福岡県京都郡みやこ町中央)に東南東に向かって、東北東に向かって筑城(ついき;福岡県築上郡築上町北部)に着いて、瀬戸内海に出て航路で、邪馬台国(大和国;やまとこく)に向かって、古代地名と方角の対比が100%正しくて、定説(考古学会と歴史学会)を完全に否定した。
北九州4ヶ国(北九州の属国)の定説は、考古学会が無理やりに考古学的証拠を当てはめて、歴史学会も無理やりに距離や方角や古代地名を当てはめて、あまりにも見苦しい言い訳を並(なら)べて、児戯(じぎ;子供のお遊び)感覚である。

『三国志(さんごくし)・魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』の邪馬台国(大和国;やまとこく)と女王国(伊勢国;三重県中部)と斯馬国(しまこく;志摩(しま)国:三重県東端)の並(なら)びは、大阪府湾岸から一直線に大和(奈良県)と伊勢(三重県中部)と志摩(三重県東端)に向かう通路で、邪馬台国論争(大和国;やまとこく)論争の正当性を証明した。
邪馬台国(大和国;やまとこく)と女王国(伊勢国;三重県中部)は、隣国を同一国や別の国と勘違いして、距離が近すぎることや記述の解釈の難しさなどが影響して、僕にしか求められない超難問になった。

邪馬台国(大和国;やまとこく)の王都は、纏向(まきむく)遺跡が景行(けいこう)天皇の皇居の纏向日代宮(まきむくひしろのみや)で、王墓(おうぼ)が垂仁天皇陵の纏向(まきむく)石塚古墳と景行(けいこう)天皇陵の箸墓(はしはか)古墳で、専門家(考古学会と歴史学会)を完全に出し抜いた超天才の僕が凄(すさ)まじすぎて、ここまでにする。

邪馬台国(大和国;やまとこく)論争は、常識・固定観念・先入観・理屈・伝統などに捕らわれない超天才の僕が優秀すぎて、専門家(考古学会と歴史学会)を完全に黙らせて、2025年1月26日の午前9時40分頃に修正した。

<参考文献>
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
編訳者・石原道博 発行・株式会社岩波書店
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社
インターネットの不明サイトから少々拝借

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