早咲きと遅咲きの障害者

優秀な障害者は、早咲きと遅咲きがあって、早いか遅いかの違いを比較すべきでないが、比べてしまうのが人情で、仕方ないことでもどうにもできない。
障害者にとっての障害は、苦痛で忌(い)むべき物でも、障害があるから得られる才能を持つ人が多く、それを薬や治療で直して、天才の素質をつぶすことが罪(つみ)でないのか?
障害者の僕は、世界中や人類規模で障害者が健常者を新しい可能性に導(みちび)く天才が存在することを問題提起して、障害者が生まれ持った才能や運命と向き合う一助として考えてほしいと思って、題名を変えて2023年3月21日に修正した。

万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチは、500年以上前の人物で、鏡文字を書いたから発達障害で、複数の分野に影響した万能人で、20世紀のヘリコプターの原理や解剖学の高血圧の原因を求めたりして、幼少から才能を発揮した早咲きの天才である。
モーツァルトは、18世紀の人物で、3才からチェンバロを弾(ひ)き始めて、5才で作曲して、6才で演奏して、圧倒的な早咲きの音楽家で、発達障害の注意力欠如多動性症候群(ADHD)と考えられる。
発明王トーマス・エジソンは、19世紀に千件以上の特許を取って、幼少に火事を起こして、学習障害の可能性があって、早咲きの天才である。
20世紀最高の天才アルバート・アインシュタイン博士は、言語障害で5才頃まで話せず、幼少から数学や科学が得意で、1905年(奇跡の年)の4つの理論を公表して、ノーベル賞を受賞するなど早咲きの天才である。

早咲きの天才は、若くして成功して、早くから注目されて、嫉妬(しっと)や羨望(せんぼう)を受けて、調子に乗ったり天狗になったりして、社会経験がなく有名になると、苦労知らずで色々と苦労する。
デイビット・ガレンソンは、天才が概念的イノベーター(短距離走)と実験的イノベーター(長距離走)に区別して、概念的イノベーターが大胆な考え方を思い付いて、実行に移すタイプで、アインシュタイン博士などがこの典型で、概念的イノベーターが試行錯誤して、問題解決して進化するタイプで、僕などが実例である。
早咲きの天才は、幼少に神童と呼ばれて、大人になっても活躍した天神の菅原道真(すがわらのみちざね)などがいて、将棋界が幼少から才能を開花する例が多いが、神童と呼ばれても、大人になって凡人になった実例も多い。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは、19世紀の人物で、26才以降に絵を描き始めて、精神障害の持ち主で、遅咲きの天才の良い例である。
遅咲きの僕は、小学校低学年で学校の犬走(いぬばしり)を走って遊んで、突然に体が幽体離脱したか遠くの景色をテレビ画面から見たような感覚になって、精神障害…統合失調症抑(とうごうしっちょうしょうよく)うつが高校時代の祖父の死で生まれて、22才前に歴史研究を始めて、試行錯誤を繰り返して、歴史や神道や神様や考え方や哲学など万能な才能を発揮して、歴史上の超天才の仲間入りをした超天才である。
おそらく僕は、幼少から発達障害が芽を出さず、短大入学時に交通事故で、高次脳機能障害が目覚めた可能性があって、歴史研究で発達障害が影響して大成して、宗教や神様や考え方や哲学など幅広(はばひろ)く複数の分野を考えて、ここまでの超天才に成長して、僕の隠れた障害が発達障害と考えられる。
遅咲きの天才は、世の中の荒波にもまれて、なんとか上を目指してあがいて、様々な苦労や努力を重ねて、最終的な成功者になった偉人である。遅咲きの障害者は、僕とゴッホだけを挙例して、遅咲きの天才が多いけれど、遅咲きの障害者が少なくて、評価されないことが多いためである。

僕が発達障害の可能性は、幼少からコミュニケーションの障害、対人関係や社会性の障害、パターン化した行動、興味や関心のこだわりなどがあって、超越した圧倒的な考え方と頭脳スピードの急成長を自覚して、声のボリューム調整ができず、整理整頓(せいとん)が苦手で、ゴミの片付けができなくて、当てはまる点が多いが、学習障害の可能性もある。
僕は小学生の時に計算が苦手で、よく算数でテストの裏表(うらおもて)0点を取って、高校生の簿記で十数点を取って、再々試という形で何度もテストを受けて、留年を免(まぬが)れて、数学が苦手だが、国文系や理系が得意で、現在の超越した異常な考え方と頭脳成長の進化スピードを自覚して、発達障害か学習障害を疑われる。
僕は幼少から人付き合いが苦手で、対人関係に引っ込み思案で、根暗な性格からと考えたが、興味や関心のこだわりとパターン化した行動などで、発達障害を疑って、小学校低学年で正体不明の障害を自覚して、障害者の可能性を自分で自覚した。
僕は話す時に小さい声でよく聞こえなかったり、独り言を言うクセがあって大声だったり、高校生の時の登校で自転車に乗りながら自作の歌を大声で歌ったり、声のボリュームを調整しにくい特徴と考えられて、発達障害か精神障害が疑われる。
僕は整理整頓(せいりせいとん)が苦手で、生まれてから高校生まで自宅で暮らして問題なかったが、短大入学後から部屋のゴミを片付けられず、卒業して自宅の離れの2階を自室にして20年以上たって、いまだにゴミの片付けが苦手で、僕が発達障害を疑われる。
僕は歴史研究の手書きの資料を見ると、漢字の「壊れる」の「壊」が間違って書いているようで、他にも漢字の書き間違いが見受けられるかもしれなくて、漢字を考えた時に部首が思いつかなくて、パソコンで漢字入力して思い出すこともある。
僕は幼い頃から運動が苦手で、小学生で運動嫌いだと思ったが、小学校中学年で急に太り出して、短大卒業後に車が運転できるようになって、コンビニ食を頻繁(ひんぱん)に買って食べて、20キログラム以上太って運動できずに、やせられないのが障害の可能性があるかもしれない。
僕は短大入学9日目に交通事故に遭(あ)って、脳挫傷(ざしょう)・クモ膜下出血で病院に入院して、この時に頭を打って高次脳機能障害になった可能性がある。
僕は高校時代の祖父の死後、命・魂・精神・戦争・平和を考えて、人間的に成長したが、精神障害の統合失調症抑(とうごうしっちょうしょうよく)うつが生まれて、何度もリストカット(自傷行為)をして、飛び下り自殺未遂もして、自分を傷つける。

国連の障害児教育は、日本の特別支援教育を中止するように求めたが、特別支援教育が発達障害のメリットがあって、特別支援教育が色々な障害の特性に合った教育を受けられて、普通校の「自立」と支援学校の「自尊感情」の育成に現れて、国連の中止要請が正しいと言い切れない実態がある。
障害者の対応は、世界中と日本国内でちゃんと審議して、それぞれの国内にあった方法を考えて、より良くなる未来を模索すべきである。

障害を呪(のろ)うのは、良いのか悪いのか勝手で、直すのが障害者にした神への冒涜(ぼうとく)で、才能を持つことが本人の意思で決められないなら不幸である。
障害者は、いじめや迫害を受けやすく、古代からずっと攻撃対象となって、障害に理解のある現代社会でも新しい問題提起で、その存在を消すことが罪(つみ)と罰(ばつ)でないのか?
僕は人類を新しい段階に導くため、たとえ誰かから後ろ指を指されても、障害を人類に問題提起し続けてほしくて、障害者の本当の幸せが何か互いに考えて、誰もが幸せでいられる時代が来ることを願う。

<参考文献>
インターネットの不明サイトから少々拝借

戻る