日本武尊(やまとたけのみこと)

日本武尊は、現在「やまとたけるのみこと」と発音するが、江戸時代以前の「記紀」の写本が全て「やまとたけのみこと」と書いて、『ホツマツタエ』もヤマトタケで、「やまとたけるのみこと」が間違いで、古代から日本武尊(やまとたけのみこと)を祭る熱田(あつた)神宮もパンフレットなどに「やまとたけるのみこと」と書いて間違った。
明治時代の『校訂古事記』は、なぜか「やまとたけるのみこと」と書いて、それを『日本古典文学大系』(発行・岩波書店)で、採用して間違いを広めて、僕が全て日本武尊(やまとたけのみこと)と記す。

卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)よりも日本武尊(やまとたけのみこと)は、嘘(うそ)で塗(ぬ)り固めた人物として、最重要の謎(なぞ)の人物で、『ホツマツタエ』と「記紀」が本当と嘘(うそ)を記して、編者(へんしゃ)の作り上げた嘘(うそ)の偽装工作の手腕に驚かされる。
『ホツマツタエ』と「記紀」は、全ての嘘(うそ)をしっかり直して、古代天皇家の時代の主役と端役(はやく)の登場人物たちの実在年代を正しく求めて、その時代にどのような出来事が起きたか正しく再現して、研究や分析や特徴などを求めて、まとめ上げたのが僕の神技(かみわざ)の史料で、非常に簡単そうに語るが、22年以上の歴史研究の賜物(たまもの)である。
日本武尊(やまとたけのみこと)は、一人だけの功績が嘘(うそ)で、複数の人間を一人にまとめたとか、適当な主張をする馬鹿(僕以外の人間)が多くて、超天才の僕の嗅覚(きゅうかく)を騙(だま)せなくて、僕の自論を破ることが絶対に不可能である。

日本武尊(やまとたけのみこと)は、特別扱いの皇子で、粗暴な面を持ちながら、武勲を立て続けて、父から冷遇されながら、東海平定の途中で亡くなった悲劇的英雄で、粗暴な面が素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)との共通性などが指摘されて、超天才の僕が神格化を求める「きっかけ」になった。
日本武尊(やまとたけのみこと)は、可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこじのみこと)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)と天穂日命(あめのほひのみこと)と建御名方神(たけみなかたのかみ)に神格化して、開化(かいか)天皇と武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)と出雲振根(いずもふりね)に祖先化して、成務(せいむ)天皇と大碓命(おおうすのみこと)と同一人物である。
日本武尊(やまとたけのみこと)は、天皇と皇太子の立場を異母兄弟の成務(せいむ)天皇で、弟橘姫(おとたちばなひめ)との不倫を同母兄弟の大碓命(おおうすのみこと)や神格化した素戔嗚尊(すさのおのみこと)などに押し付けて、逆賊を祖先化した武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)などになすり付けて、清廉潔白(せいれんけっぱく)な悲劇的英雄を偽装工作したが、神格化・祖先化・子孫化などの偽装工作を全て超天才の僕が求めて暴(あば)いた。

可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこじのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、「葦牙(あしか)」と「舅(じ)」が葦原中国(あしはらなかつくに;出雲王国)で、牙を剥(む)いた7代目出雲国王・飯入根(いいいりね)の舅(しゅうと)の日本武尊(やまとたけのみこと)と解釈できる。
可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこじのみこと)の可美(うまし)は、違う漢字の甘美(うまし)と共に出雲王国(物部(もののべ)氏)の関係者に使う名前で、出雲と日本武尊(やまとたけのみこと)の確実な関係が証明された。

素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)と伊弉冉尊(いざなみのみこと;日葉酢媛(ひばすひめ)を神格化)の末弟だが、正しく求めると兄の月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)の息子で、父の弟にして血筋を外(はず)した理由が禁忌の太陽神殺しである。
日本武尊(やまとたけのみこと)と同じく素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、父から冷遇されて、粗暴な性格で、熊襲(くまそ)王国の滅亡と八岐大蛇(やまたのおろち)退治神話で、武勲を立てて、明らかに共通することを証明した。
素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、大人で髭(ひげ)が胸まで伸びても泣いて、垂仁(すいにん)天皇23年の誉津別命(ほむつわけのみこと)が素戔嗚尊(すさのおのみこと)とそっくりで、日本武尊(やまとたけのみこと)の悪行を暴露した。
素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、姉で父方の天照大神(あまてらすおおみかみ;伯母(おば)の倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)を殺して、母方の天照大神(あまてらすおおみかみ;義娘(ぎじょう;義理の娘)の神功(じんぐう)皇后を神格化)に殺されて、太陽神を殺し殺された。
古代太陽神の八岐大蛇(やまたのおろち)を殺した素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、滋賀県の伊吹山(いぶきやま)で、毒蛇に咬(か)まれて、悲劇的英雄として死んだ日本武尊(やまとたけのみこと)、伊吹戸主神(いぶきどぬしのかみ;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)に追い詰められた胡久美(こくみ;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)など、明らかに共通する。
出雲王朝の先祖の素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、日本武尊(やまとたけのみこと)の一人娘の布忍姫(ぬのおしひめ)が7代目出雲国王の飯入根(いいいりね)と結婚して、その子孫が古代天皇家と出雲王国(物部(もののべ)氏)が混血した現在の出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と日本武尊(やまとたけのみこと)の共通性を超天才の僕が他に幾らでも指摘できる。

天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)の息子だが、正しく求めると、月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)の息子で、出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏の先祖が日本武尊(やまとたけのみこと)の直系子孫だからである。
天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、出雲神話に登場して、出雲王国(物部(もののべ)氏)の崩壊で、日本武尊(やまとたけのみこと)が戦死したためである。

建御名方神(たけみなかたのかみ;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)の息子だが、正しく求めると飯入根(いいいりね)の義父の日本武尊(やまとたけのみこと)に当たる。
建御名方神(たけみなかたのかみ;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、武甕槌神(たけみかづちのかみ;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)に負けて、島根県から長野県の諏訪湖(すわこ)まで逃げて、日本武尊(やまとたけのみこと)の父である景行(けいこう)天皇の曾孫が初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)で、長野県が日本武尊(やまとたけのみこと)の平定した土地として、明らかに共通する。
別の漢字の武南方神(たけみなかたのかみ)は、出雲の南西の熊襲(くまそ;南九州)を指して、日本武尊(やまとたけのみこと)が滅亡させた熊襲(くまそ)王国と解釈して、南(みな)の言霊(ことだま;言葉の魂)が宿って共通する。
日本神話を完全解釈した僕は、史実(歴史上の事実)の邪馬台国(大和国;やまとこく)時代を神話化して、他の神々を記さないが、共通の特徴や系図を示して、あまりに簡単すぎる作業である。

景行(けいこう)天皇2年12月15日(西暦193年1月中旬頃)に景行(けいこう)天皇と皇后の播磨稲日大郎姫(はりまのいなひおいらつめ)は、日本武尊(やまとたけのみこと)を生んだ。
景行(けいこう)天皇5年11月15日(西暦195年12月中旬頃)に景行(けいこう)天皇と八坂高依媛(やさかたかよりひめ)は、成務(せいむ)天皇(日本武尊(やまとたけのみこと)と同一人物)が生んだが、景行天皇45年11月15日(西暦235年12月中旬頃)生まれの初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を求めるヒントで、『日本書紀』成務(せいむ)天皇3年1月3日に成務(せいむ)天皇と武内宿禰(たけのうちのすくね)が同日生まれと記す。
つまり景行(けいこう)天皇2年12月15日(西暦193年1月中旬頃)に景行(けいこう)天皇と皇后の八坂高依媛(やさかたかよりひめ)は、日本武尊(やまとたけのみこと)を生んで、偽装工作を排除した結果である。

景行(けいこう)天皇は、妾(めかけ)の弟橘姫(おとたちばなひめ)との間に神櫛皇子(かんぐしのみこ)を生んで、後の6代目出雲国王の彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)で、次に稲背彦皇子(いなせひこのみこ)を生んで、次に生んだ3つ子の姉妹を宗像(むなかた)3神に神格化して、最低5人兄弟を生んだと考えられる。
『ホツマツタエ』で景行(けいこう)天皇の妻で、石上社(いしのかみやしろ)の五十杵(いそきね)の娘・五河姫(いかわひめ)は、神櫛皇子(かんぐしのみこ)と稲背彦皇子(いなせひこのみこ)を生んで、神櫛皇子(かんぐしのみこ)が讃岐国造(さぬきくにみやつこ;香川県の国主)の先祖で、稲背彦皇子(いなせひこのみこ)が播磨別(はりまわけ)の先祖である。
石上社(いしのかみやしろ)は、物部(もののべ)氏の神社の石上(いしのかみやしろ)神宮で、出雲王国(物部(もののべ)氏)の養子が弟橘姫(おとたちばなひめ)で、神櫛皇子(かんぐしのみこ)が讃岐国造(さぬきくにみやつこ;香川県の国主)で、讃岐(さぬき;香川県)が神櫛皇子(かんぐしのみこ)の異母兄弟で合致して、稲背彦皇子(いなせひこのみこ)の播磨別(はりまわけ)が日本武尊(やまとたけのみこと)の母の播磨稲日大郎姫(はりまのいなひおいらつめ)と繋(つな)がる。
讃岐(さぬき)と播磨(はりま)は、景行(けいこう)天皇と日本武尊(やまとたけのみこと)と弟橘姫(おとたちばなひめ)をつないで、言い逃れができない。
息子の日本武尊(やまとたけのみこと)は、父の景行(けいこう)天皇から妾(めかけ)の弟橘姫(おとたちばなひめ)を寝取って、景行(けいこう)天皇27年1月12日(西暦217年2月中旬頃)に不倫がバレて、義理の母と息子の不倫だった。
日本武尊(やまとたけのみこと)は、一夫多妻制に関係なく、父から妾(めかけ)を寝取った女性にだらしない女好きで、父から大きく恨(うら)まれて、凡人(僕以外の人間)がそれを偽装工作した歴史書に騙(だま)されて、血筋の混乱と愛憎劇の超天才の僕が求めて、古代天皇家の一大スキャンダル(不祥事)である。

皇太子妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)は、稚武彦王(わかたけひこのみこ)を生んで、次に稲入別王(いないりわけのみこ)を生んで、次に蘆髪蒲見王(あしかみかまみのみこ)を生んで、次に武蚕養王(たけこかいのみこ)を生んで、次に息長田別王(いきながたわけのみこ)を生んで、次に五十目彦王(いそめひこのみこ)を生んで、次に伊賀彦王(いがひこのみこ)を生んで、男ばかりの7人兄弟である。
『ホツマツタエ』の日本武尊(やまとたけのみこと)と弟橘媛(おとたちばなひめ)の息子は、7人が確実に正しくて、「記紀」が稚武彦王(わかたけひこのみこ)だけで、『先代旧事本紀』が8人で、後世の情報の混乱で滅茶苦茶になって、20年以上も出雲にいたから7人の息子が生まれたと考えられる。

日本武尊(やまとたけのみこと)は、父の景行(けいこう)天皇から冷遇されたのが妻を奪(うば)ったためで、同母兄の大碓命(おおうすのみこと)に不倫をなすり付けて、同母兄を作ることで、日本武尊(やまとたけのみこと)の不倫を隠して、偽装工作をうまく逸(そ)らしたが、僕に違和感を覚えさせた。
出雲王国(物部(もののべ)氏)の養子の弟橘姫(おとたちばなひめ)は、景行(けいこう)天皇との息子の彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)を6代目出雲国王で、その息子の飯入根(いいいりね)が日本武尊(やまとたけのみこと)の一人娘の布忍姫(ぬのおしひめ)を妻で、日本武尊(やまとたけのみこと)との息子の蘆髪蒲見王(あしかみかまみのみこ)が戦死して、弟橘姫(おとたちばなひめ)も戦死した。
血筋の混乱の偽装工作は、邪馬台国(大和国;やまとこく)と出雲王国(物部(もののべ)氏)の深い血縁と悲劇を隠して、見事に違和感を覚えない物語だが、超感覚の僕が嫌悪感バリバリで、ようやく決着した。

孝元(こうげん)天皇(景行(けいこう)天皇を祖先化)と開化(かいか)天皇(日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)の妻の伊香色謎命(いかがしこめのみこと;弟橘姫(おとたちばなひめ)を祖先化)は、景行(けいこう)天皇と日本武尊(やまとたけのみこと)の親子の愛憎劇と血筋の混乱を2022年6月1日の午前5時45分頃に求めた。
開化(かいか)天皇(日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)は、日本武尊(やまとたけのみこと)が皇太子で、後に天皇になった事実のために作られた系譜で、武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)が皇位継承権争いを起こした逆賊で、作られた偽装工作の人物が明白である。
孝元(こうげん)天皇(景行(けいこう)天皇を祖先化)と開化(かいか)天皇(日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)は、親子の妻が伊香色謎命(いかがしこめのみこと)で、日本武尊(やまとたけのみこと)と弟橘姫(おとたちばなひめ)の不倫を事実として系図を作って、弟橘姫(おとたちばなひめ)が日本武尊(やまとたけのみこと)の正妻で、父の妾(めかけ)を寝取って、かなり危険な立場と考えられる。

孝元(こうげん)天皇(景行(けいこう)天皇を祖先化)の息子の武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)は、妻の吾田媛(あたひめ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を祖先化)と奈良県で皇位継承権争いを起こして、吾田媛(あたひめ)が戦死して、日本武尊(やまとたけのみこと)が東海平定で、弟橘姫(おとたちばなひめ)が従軍して、東京湾で入水(じゅすい)自殺したと偽装工作した。
武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)の反乱は、伯母(おば)の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと;倭姫命(やまとひめのみこと)を祖先化)が事故死して、日本武尊(やまとたけのみこと)が伯母(おば)の倭姫命(やまとひめのみこと)を殺して、太陽神の巫女(みこ)殺しが共通した。

崇神(すじん)天皇60年の出雲平定は、仲哀(ちゅうあい)天皇9年(西暦260年)神無月の出雲平定が共通して、出雲振根(いずもふりね;日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)が弟(正しくは婿(むこ)養子)で、出雲梟帥(いずもたける)の飯入根(いいいりね)を騙(だま)し討ちで殺して、日本武尊(やまとたけのみこと)が出雲建(いずもたける)を騙(だま)し討ちで殺した話がそっくりで、完全な実話が共通した。
出雲振根(いずもふりね;日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)は、筑紫(つくし;九州)に出かけて、日本武尊(やまとたけのみこと)が熊襲(くまそ;南九州)王国を滅亡させた事実と重なって、超天才の僕にしか求められない。

日本武尊(やまとたけのみこと)は、実母の播磨稲日大郎姫(はりまのいなひおいらつめ)と実兄の大碓命(おおうすのみこと)だが、本当の実母が八坂高依媛(やさかたかよりひめ)で、実兄が存在しない作られた人物で、異母兄弟に八坂高依媛(やさかたかよりひめ)の息子の成務(せいむ)天皇が日本武尊(やまとたけのみこと)と同一人物である。
日本武尊(やまとたけのみこと)と異母兄弟の成務(せいむ)天皇は、名前が小碓尊(おうすのみこと)と稚足彦尊(わかたりひこのみこと)で、末名の「尊(みこと)」と「命(みこと)」と書き違うで、「尊(みこと)」が神名なら歴代の天皇皇后と重要人物を神格化して、人名なら歴代天皇の即位前と国政執行した人物に限られて、超天才の僕しか求められない。
日本武尊(やまとたけのみこと)は、特別扱いの皇子だが、皇太子と天皇として国政執行して、「記紀」以外の他書で、日本武(やまとたけのみこと)天皇などと記して、異母兄弟の成務(せいむ)天皇と同一人物とする理由でもある。

景行(けいこう)天皇と皇后の播磨稲日大郎姫(はりまのいなひおいらつめ)は、大碓命(おおうすのみこと)と日本武尊(やまとたけのみこと)を生んだが、実母と実刑が作られた人物でで、播磨稲日大郎姫(はりまのいなひおいらつめ)に妹の稲日若郎姫(いなひわかいらつめ;弟橘姫(おとたちばなひめ)と同一人物)がいて、播磨稲日大郎姫(はりまのいなひおいらつめ)の父が吉備津彦(きびつひこ;祖別命(みおやわけのみこと)を祖先化)で、弟橘姫(おとたちばなひめ)の実父である。
天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)の弟の月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)は、益姫持子(ますひめもちこ;播磨稲日大郎姫(はりまいなひのおいらつめ)を神格化)と天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)をもうけて、小益姫早子(こますひめはやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)と3つ子の姉妹の宗像(むなかた)3神をもうけた。
素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、小益姫早子(こますひめはやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)と不倫して、天照大神(あまてらすおおみかみ;景行(けいこう)天皇を神格化)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の娘の3姉妹が宗像(むなかた)3神で、『ホツマツタエ』の日本神話の不倫が史実(歴史上の事実)と特定させるために作られた。

大碓命(おおうすのみこと)は、父から神大根王(かみおおねのみこ)の娘2人を寝取って、姉の兄遠子(えとおこ)が押黒之兄日子王(おしくろのえひこのみこ)を生んで、美濃(みの;岐阜県)の宇沼須和気(うねすわけ)の先祖で、妹の弟遠子(おととおこ)が押黒弟日子王(おしくろのおとひこのみこ)を生んで、牟宜都君(むげつのきみ)の先祖で、景行(けいこう)天皇が息子を恨(うら)んだ。
彦坐王(ひこいますのみこ)の息子の神大根王(かみおおねのみこ)は、別名の八瓜入日子王(やうりいりひこのみこ)が八坂入彦命(やさかいりひこのみこと)と名前が似て、共通するように生み出したと考えられる。
大碓命(おおうすのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)は、弟遠子(おととおこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を祖先化)との間に押黒弟日子王(おしくろのおとひこのみこ;7人の息子の誰か)をもうけて、景行(けいこう)天皇の妻2姉妹(播磨稲日大郎姫(はりまのいなひおいらつめ)と稲日若郎姫(いなひわかいらつめ)が息子の大碓命(おおうすのみこと)妻2姉妹と合致すると考えられる。

景行(けいこう)天皇57年12月頃(248年1月頃)に出雲から大和に帰国した日本武尊(やまとたけのみこと)は、南九州の熊襲(くまそ)国王の取石鹿文(とりいしかや)を殺して、熊襲(くまそ)王国を滅亡させた。景行(けいこう)天皇58年2月1日(西暦248年3月上旬頃)に南九州から大和に戻った日本武尊(やまとたけのみこと)は、熊襲(くまそ)王国を平定した褒美(ほうび)で、父の景行(けいこう)天皇から日本武(やまとたけ)の武名を与えられて、同時に不倫を水に流して、弟橘姫(おとたちばなひめ)を皇太子妃(正妻)にした。
日本武尊(やまとたけのみこと)は、父の景行(けいこう)天皇から妾(めかけ)の弟橘姫(おとたちばなひめ)を寝取って、義理の母と息子の不倫の罪(つみ)を熊襲(くまそ)王国の平定で許されて、水に流されて、2025年3月22日の午後6時頃に気付いた。
2022年6月1日の午前5時45分頃は、弟橘姫(おとたちばなひめ)の不倫を確信して、逆に超天才の僕が偽装工作を特定して、景行(けいこう)天皇と日本武尊(やまとたけのみこと)の血筋が判明して、大和で弟橘姫(おとたちばなひめ)が戦死した本当の理由を知った。

天皇不在の年8月4日(西暦251年9月上旬頃)に日本武尊(やまとたけのみこと)は、三種の神器を強奪して、日本武(やまとたけ)天皇に強行即位して、日本武(やまとたけ)天皇と蘆髪蒲見王(あしかみかまみのみこ)の親子がもう一人の息子の仲哀(ちゅうあい)天皇と対立した。
天皇不在の年10月7日(西暦251年11月上旬頃)に日本武(やまとたけ)天皇は、88才の伯母(おば)の倭姫命(やまとひめのみこと)を伊勢市の磯(いそ)神社で殺して、太陽神の巫女(みこ)殺しだから、天皇家で禁忌の太陽神殺しで、皇族全員に認められない行為だった。
天皇不在の年11月4日(西暦251年12月上旬頃)に息子の蘆髪蒲見王(あしかみかまみのみこ)は、山城(京都府南部)で戦死して、父の日本武(やまとたけ)天皇が出雲王国(物部(もののべ)氏)に亡命するため、京都北部の海岸に向かった。
日本武(やまとたけ)天皇の皇位継承権争い(内乱)は、伯母(おば)の倭姫命(やまとひめのみこと)を殺害して、9年間の2朝廷並列時代を生み出して、最初の罪(つみ)の不倫が水に流れたが、2度目がなかった。

仲哀(ちゅうあい)天皇9年2月5日(西暦260年3月上旬頃)に仲哀(ちゅうあい)天皇は、出雲王国(物部(もののべ)氏)の攻撃中に戦場で傷ついて、翌日6日に51才で戦死して、正妻の神功(じんぐう)皇后が舅(しゅうと)の日本武(やまとたけ)天皇を恨(うら)んで、奈良県に撤退(てったい)した。
仲哀(ちゅうあい)天皇9年神無月11日(西暦260年11月中旬頃)に神功(じんぐう)皇后は、出雲王国の攻撃を開始して、17日に67才の日本武(やまとたけ)天皇を殺して、9年間の日本武尊(やまとたけのみこと)の反乱(皇位継承権争い)が決着して、短時間で出雲王国の上層部を一掃(出雲王国の崩壊)して、戦死者が少なかったと考えられる。
『ホツマツタエ』垂仁(すいにん)天皇23年10月8日は、正しく解釈すると、宇夜江(うやえ;島根県出雲市簸川(ひかわ)町神庭(かんば)宇屋谷(うやだに)で、仲哀天皇9年神無月17日(西暦260年11月中旬頃)に日本武(やまとたけ)天皇が戦死したと考えられる。
日本武尊(やまとたけのみこと)は、最初の不倫の罪(つみ)を許されて水に流したが、2度目の日本武(やまとたけ)天皇が起こした内乱(皇位継承権争い)の罪(つみ)を許されなくて、自分の死で償(つぐな)って、2025年3月22日の午後6時頃に気付いた。

出雲神話の素戔嗚尊(すさのおのみこと)と天穂日命(あめのほひのみこと)と建御名方神(たけみなかたのかみ)は、日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化して、義娘(ぎじょう;義理の娘)の母方の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)に殺されて、出雲神話の終わりである。

日本武尊(やまとたけのみこと)は、仲哀(ちゅうあい)天皇9年10月17日(西暦260年11月中旬頃)に出雲で戦死して、成務(せいむ)天皇を仲哀(ちゅうあい)天皇元年9月6日に倭(大和;やまと)の狭城盾列陵(さきたたなみのみささぎ)に葬礼したが、摂政(せっしょう)元年9月6日(西暦261年10月上旬頃)に大和(おおやまと)古墳の前方後円墳に葬礼したのが正しくて、特定が不可能と考えられる。
日本武尊(やまとたけのみこと)陵は、白鳥陵(しらとりのみささぎ)の記述から、大和と出雲に分骨した可能性があって、有史(文字の記録による歴史)で日本初の分骨と考えられる。
日本武尊(やまとたけのみこと)陵は、陵墓名が佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群の狭城盾列陵(さきたたなみのみささぎ)も能褒野(のぼの)の古墳も2つの白鳥陵(しらとりのみささぎ)の古墳も否定して、正しい陵墓名が分からないと考えられる。

22年以上の歴史研究で超天才の僕は、『ホツマツタエ』と「記紀」が隠した最悪の大罪人の日本武尊(やまとたけのみこと)を暴(あば)いて、秘史(ひし;秘密の歴史)を再現して、本当の史実・真実・事実を突き付けて、2025年3月28日の午後5時10分頃に修正した。

<参考文献>
『ホツマ物語』
著者・鳥居礼 発行・株式会社新泉社
『完訳秀真伝』
編著者・鳥居礼 発行・八幡書店
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社
『古事記(上)(中)―全三巻―』
著者・次田真幸 発行・株式会社講談社
インターネットの不明サイトから少々拝借

戻る