日本武尊(やまとたけのみこと)と弟橘姫(おとたちばなひめ)の不倫

普通の文字は黒字で、日本神話の神々と特徴などが赤字で、歴代天皇時代の全て対比した旧暦年と太陽暦の年代を緑字で記した。

2022年6月1日の午前5時45分頃は、日本武尊(やまとたけのみこと)と弟橘姫(おとたちばなひめ)の不倫を確信して、『ホツマツタエ』開化(かいか)天皇(日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)7年1月12日に不倫が発覚した時期を2025年3月4日の午前7時台に求めた。
日本武尊(やまとたけのみこと)と弟橘姫(おとたちばなひめ)の不倫は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と小益姫早子(こますひめはやこ)の不倫、胡久美(こくみ)と椋子姫(くらこひめ)の不倫、開花(かいか)天皇と伊香色謎命(いかがしこめのみこと)の不倫、大碓命(おおうすのみこと)と兄遠子(えとおこ)や弟遠子(おととおこ)の姉妹との不倫など、4例が全てを証明して、100%否定できない。

『ホツマツタエ』のカナサキ(野見宿禰(のみのすくね)を神格化)は、『古事記』の神名が宇都志日金析命(宇都志日金拆命;うつしひかなさきのみこと)で、アマテルカミ(景行(けいこう)天皇を神格化)の名代(みょうだい)として、ツクシ(筑紫;九州)全土を統治して、景行(けいこう)天皇18年(西暦208年)以降に九州全土を監視したと考えられる。

弟橘姫(おとたちばなひめ)は、義父の野見宿禰(のみのすくね)が景行(けいこう)天皇26年(西暦216年)以前に亡くなったと聞いて、お義父(とう)さん子だったため、落ち込んだ所を義理の息子の日本武尊(やまとたけのみこと)に慰(なぐさ)められて、不倫関係に発展したと考えられる。

『ホツマツタエ』孝元(こうげん)天皇(景行(けいこう)天皇を祖先化)元年メ月(10月)12日は、開化(かいか)天皇が数え年51才で、弟橘姫(おとたちばなひめ)の数え年21才と合致させて、景行(けいこう)天皇元年4月末日(西暦191年5月下旬頃)に弟橘姫(おとたちばなひめ)が生まれて、景行(けいこう)天皇21年10月12日(西暦211年12月中旬頃)に弟橘姫(おとたちばなひめ)が数え年21才で、実年齢20才を示す。
孝元(こうげん)天皇元年を景行(けいこう)天皇21年とした時の開化(かいか)天皇7年1月12日は、景行(けいこう)天皇27年1月12日(西暦217年2月中旬頃)に父の孝元(こうげん)天皇の内侍后(うちめきさき;皇后より下の妃の位)である伊香色謎(いきしこめ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を祖先化)は、開化(かいか)天皇が召(め)して皇后に迎(むか)えた時、孝元(こうげん)天皇と伊香色謎(いきしこめ)の長男の大御気主(おおみけぬし;神櫛皇子(かんぐしのみこ)を祖先化)がそれを諫(いさ)め申し上げた。
「開化(かいか)天皇は、お聞きになられなかったか?
昔に白人(しらひと;景行(けいこう)天皇を神格化)と胡久美(こくみ;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)の二人は、母や娘を犯(おか)した汚名が今にも伝えられる。
開化(かいか)天皇は、義母の伊香色謎(いきしこめ)を娶(めと)ることが白人(しらひと)と胡久美(こくみ)を真似(まね)るのと同じことで、開化(かいか)天皇までが汚名をかぶるのか?」

すると伊香色謎(いきしこめ)の伯父(おじ;兄弟)の欝色雄(うつしこお;物部十市根(もののべのといちね)を祖先化)は反論して言った。
「孝元(こうげん)天皇(景行(けいこう)天皇を祖先化)は、伊香色謎(いきしこめ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を祖先化)が伯父(おじ;父の兄)の関係にあるため、開化(かいか)天皇(日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)の母と言えない。」
大御気主(おおみけぬし;神櫛皇子(かんぐしのみこ)を祖先化)は反論した。
「天照神(あまてるかみ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の説(と)く伊勢の道は、女が一度嫁(とつ)ぐと、夫の両親を生みの親とすると言う教えがある。
昔の孝元(こうげん)天皇は、妃の欝色謎(うつしこめ;高田媛(たかだひめ)を祖先化)と伊香色謎(いきしこめ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を祖先化)が伯母(おば;父の姉)と姪(めい)の関係にあったとしても、今の妃2人に連(つら)なり生んだ子供がおられる。
忍信(おしまこと;神櫛皇子(かんぐしのみこ)を祖先化)や開化(かいか)天皇(日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)は、それに連(つら)なる枝で、妃2人がお互いの母である。」
「天に月は、一つしかないように、月である母も一人しかいない。
すなわち欝色謎(うつしこめ;高田媛(たかだひめ)を祖先化)だけが母で、御下女(しもめ;皇后より下の妃の位)が星で、開化(かいか)天皇(日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)がこの星を召(め)しただけだ。」
欝色雄(うつしこお;物部十市根(もののべのといちね)を祖先化)も、伊勢の道である教えの裏をかいて、そう言った。
大御気主(おおみけぬし;神櫛皇子(かんぐしのみこ)を祖先化)は嘆(なげ)いて、
「天照大神(あまてらすををんかみ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、天の道を築(きず)いて、代々の天皇がその教えを受け継いで国を統治した。
天津日嗣(あまつひつ)ぎを受けた開化(かいか)天皇(日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)に対して、私が政治に諫(いさ)め申し上げずして、開化(かいか)天皇に媚(こ)びへつらって、天の守護をなき物として、何と心が汚(けが)れて、開化(かいか)天皇がどのようなおつもりだろう。
わが先祖の事代主(ことしろぬし;濡渟(うかずくぬ)を神格化)は、飛鳥治君(あすかをきみ;初代・火明命(ほあかりのみこと;誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)を神格化)の暴挙を諫(いさ)め申し上げて、汚(けが)れた祿(ろく;家臣に下付される給与)が食(く)わずと言われて、官職を返上して、私も先祖の御心(みこころ)に従うのみ。」
は「盧へん」に鳥の漢字で、ホームページで表示できるが注意書きにする。
と言い終わって大御気主(おおみけぬし;神櫛皇子(かんぐしのみこ)を祖先化)は、去って行かれて、開化(かいか)天皇(日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)がこの諫言(かんげん)を聞き入れず、大御気主(おおみけぬし;神櫛皇子(かんぐしのみこ)を祖先化)親子が出雲に蟄居(ちっきょ;武士や公家が閉門した上で、自宅の一室に謹慎させた刑罰の一つ)した。

景行(けいこう)天皇27年1月12日(西暦217年2月中旬頃)に日本武尊(やまとたけのみこと)は、父の景行(けいこう)天皇の妾(めかけ)である弟橘姫(おとたちばなひめ)と不倫して、日本武尊(やまとたけのみこと)の最初の罪(つみ)である。
(歴史学会(歴史書解釈)の定説の景行(けいこう)天皇27年1月12日(西暦97年2月中旬頃)は、完全な間違いで、僕の自論の景行(けいこう)天皇27年1月12日(西暦217年2月中旬頃)が正しい。)

『ホツマツタエ』の白仁(しらひと;景行(けいこう)天皇を神格化)と椋子姫(くらこひめ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)は、神狭日(かんさひ;神櫛皇子(かんぐしのみこ)を神格化)と弟の兵主(つわものぬし;稲背彦皇子(いなせひこのみこ)を神格化)を生んで、3つ子の娘の宗像(むなかた)三神も生んだ。
椋子姫(くらこひめ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)は、胡久美(こくみ;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)と不倫して、長男の神狭日(かんさひ;神櫛皇子(かんぐしのみこ)を神格化)が父の白仁(しらひと;景行(けいこう)天皇を神格化)に母の不倫を報告して、後に小益姫早子(こますひめはやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)の怨念(おんねん)が八岐大蛇(やまたのおろち)になった。

邪神の八岐大蛇(やまたのおろち)は、素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)が斬殺して、国賊の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が古代太陽神の八岐大蛇(やまたのおろち)と太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)を殺して、天皇家でも禁忌の太陽神殺した大罪人が素戔嗚尊(すさのおのみこと)である。

トリックスターの素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、日本武尊(やまとたけのみこと)本人で、不倫して反乱(皇位継承権争い)もして、出雲王国(物部(もののべ)氏)も崩壊させて、国賊の大罪が許されなくて、重罪人の汚名を背負っている。
トリックスターは、神話や物語で神様や自然界の秩序を壊して、物語を展開する者で、いたずら者が多くて、善と悪、破壊と再生、賢者と愚者など、異なる二面性を持つのが特徴で、素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)が代表的である。

『ホツマツタエ』月読(つきよみ;景行(けいこう)天皇を神格化)と小益姫早子(こますひめはやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)は、3つ子の娘の宗像(むなかた)三神を生んで、長女が瀛津嶋姫竹子(おきつしまひめたけこ)で、次女が江ノ嶋姫瑞子(えのしまひめたきこ)で、三女が市杵嶋姫田奈子(いちきしまひめたなこ)を生んで、3人とも誰を神格化したか分からない。
月読(つきよみ;景行(けいこう)天皇を神格化)と小益姫早子(こますひめはやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)は、景行(けいこう)天皇16年1月3日(西暦206年2月上旬頃)生まれの神櫛皇子(かんぐしのみこ)と後に生まれた稲背彦皇子(いなせひこのみこ)の実妹で、3つ子の娘の宗像(むなかた)三神を生んで、景行(けいこう)天皇19年頃(西暦209年頃)生まれの忍穂耳(おしほみみ;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)より先に生まれた。
『ホツマツタエ』の宗像(むなかた)三神は、3人とも結婚して子孫もいるため、実在した人物を神格化した証拠で、神名が実在した皇女の本名(ほんみょう)の可能性がある。
『ホツマツタエ』の天照神(あまてるかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)でなく、月読(つきよみ;景行(けいこう)天皇を神格化)の娘の宗像(むなかた)三神は、「記紀」で素戔嗚(すさのを;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)の娘として、「記紀」を編纂(へんさん)した8世紀前半の天皇家が日本武尊(やまとたけのみこと)の不倫を知っていた証拠である。
『ホツマツタエ』は、素戔嗚(すさのを;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)と小益姫早子(こますひめはやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)の不倫を記して、不倫の事実を絶対に否定できない。


『ホツマツタエ』孝元(こうげん)天皇(景行(けいこう)天皇を祖先化)の妾(めかけ)の伊香色謎(いかしこめ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を祖先化)は、孝元(こうげん)天皇の息子である開化(かいか)天皇(日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)の皇后になって、崇神(すじん)天皇(蘆髪蒲見王(あしかみかまみのみこ)を祖先化)を生んで、仲哀(ちゅうあい)天皇の異母弟の蘆髪蒲見王(あしかみかまみのみこ)も皇位継承者と考えられる。
景行(けいこう)天皇の妾(めかけ)の弟橘姫(おとたちばなひめ)は、景行(けいこう)天皇の息子の日本武尊(やまとたけのみこと)と不倫して、20年近く出雲王国(物部(もののべ)氏)にいて、7人の息子を生んだ。

『ホツマツタエ』大碓皇子(おおうすのみこ)は、日本武尊(やまとたけのみこと)と同一人物で、日本武尊(やまとたけのみこと)の汚名を隠すために作った仮(かり)の人物である。
景行(けいこう)天皇4年2月(西暦194年3月頃)に景行(けいこう)天皇は、美濃国造(みのくにみやつこ;岐阜県の統治者)の神骨(かむほね;神大根王(かみおおねのみこ)と同一人物)の娘である兄遠子(えとおこ)と弟遠子(おととおこ)の姉妹が美人で、息子の大碓命(おおうすのみこと)を派遣したが、息子が寝取って、父が恨(うら)んだ。

大碓命(おおうすのみこと)は、1才で不倫して不可能で、日本武尊(やまとたけのみこと)が弟橘姫(おとたちばなひめ)と不倫したことを偽装工作して、日本武尊(やまとたけのみこと)の母で皇后の八坂高依姫(やさかたかよりひめ)と結婚するため、景行(けいこう)天皇4年2月11日に景行(けいこう)天皇が美濃国(みののくに;岐阜県)に行ったことを合致させた。
しかし大碓命(おおうすのみこと)の年齢は、1才で不倫したと記すことで、記述に疑問を持たせて、僕が特定するきっかけになった。

日本武尊(やまとたけのみこと)と弟橘姫(おとたちばなひめ)の不倫は、『ホツマツタエ』を中心として、「記紀」にも深く残して、絶対に否定できない事実である。

<参考文献>
『古代日本史への挑戦』
著者・僕 発行・株式会社オカムラ
『続・私の半生と古代日本史』
著者・僕 発行・株式会社オカムラ
『日本書紀(上)(下)全現代語訳―全二巻―』
著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社
『古事記(上)(中)(下)―全三巻―』
著者・次田真幸 発行・株式会社講談社
『完訳秀真伝(上巻)(下巻)』
編著者・鳥居礼 発行・八幡書店
『ホツマ辞典』
著者・池田満 発行・ホツマ刊行会
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
編訳者・石原道博 発行・株式会社岩波書店
インターネットの不明サイトから少々拝借

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