僕のホームページ更新の年表

はじめに
僕は2冊の著書を出版した時から、宮内庁に史料や手紙やCD−Rなどを送って、絶対に天皇家(皇室)を蔑(ないがし)ろにしないと決めて、迷惑がられたかもしれないが、古代天皇家の歴史を完全に求める覚悟を促(うなが)す機会があったはずで、下記のホームページを更新した年月日と歴史研究の新しい発見を特定した年月日など、僕のホームページ更新の年表と、特徴と自己分析などの記録でもあって、詳細な記録を残すことで、何かに役立つと思う。
皇統譜(こうとうふ;皇室の戸籍簿)の初代天皇の神武(じんむ)天皇は、紀元前660年2月11日(建国記念の日)に即位して、皇室が2600年以上の歴史があるが、完全な創作の嘘(うそ)で、ギネスブックに日本が世界最古の国と記して、皇統譜(こうとうふ)の10代目の崇神(すじん)天皇が明確に実在した初代天皇で、崇神(すじん)天皇元年1月13日(西暦84年2月中旬頃)に即位して、2024年が日本の建国(天皇家誕生)1940年目だった。

ホームページ更新以前
2002年10月頃に歴史研究を始めた僕は、「記紀」の現代語訳本を買って、数日後に『日本書紀』の黄泉国下(よみのくにくだ)り神話と『古事記』の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱(『後漢書』と『三国志・魏志倭人伝』の倭国大乱;わこくたいらん)を合致して、日本神話と邪馬台国(大和国;やまとこく)論争を合致した瞬間だが、合致した真実・事実に気付いたのが何年も後で、それなりの時間が必要だった。

2003年7月頃に僕は、『古事記』の干支(えと)の崩年干支(ほうねんかんし)を参考にして、『日本書紀』の干支(えと)の即位年干支法(そくいねんかんしほう)を思い付いて、2004年から干支(えと)の60年周期で、1920年さかのぼった西暦84年が日本国の建国(天皇家誕生)と求めて、西暦84年から329年までの年代を固定して、西暦330年から506年と合致できず、2023年5月25日の午後5時頃 崩年干支(ほうねんかんし)が正しいと気付いて、全てがつながった。

2007年9月に僕は、最初の著書『古代日本史への挑戦』で、2009年6月に2冊目の著書『続・私の半生と古代日本史』を地元の出版社の株式会社オカムラで出版して、合計100冊から200冊ほどで、専門家(考古学会と歴史学界)の歴史書よりもレベルの高い第一級史料で、母方の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)を記したが、孫の仁徳(にんとく)天皇から直系子孫の武烈(ぶれつ)天皇で血筋が途絶えて、神功(じんぐう)皇后から9世孫から11世孫ほどの継体(けいたい)天皇から今の天皇陛下まで、女系男子天皇と気付いたのが2021年11月9日で、特定に19年以上かかった。

2014年
2014年は、建国から1930(いくさ(戦)を)年で、2016年が1932(いくさ(戦)に)年で、2017年が1933(いくさ(戦)さ)年で、2018年が1934(いくさ(戦)よ)年で、2021年が1937(いくさ(戦)な)年で、2022年が1938(いくさ(戦)は)年で、023478(鬼(おに)さんよ名(な)は)と言う言霊(ことだま;言葉の霊魂)になる。
闇(やみ)は、宮(みや)で祈(いの)って、桜(さくら)だから、腐ら(くさら)せて、綺麗(きれい)だから、冷気(れいき)で、美(うつく)しいから、苦痛(くつう)で、醜(みにく)いから、憎み(にくみ)、戦(いくさ)が臭い(くさい)のが血生臭(ちなまぐさ)いからで、言葉に言霊(ことだま;言葉の霊魂)が宿(やど)る。

2014年7月1日に僕は、集団的自衛権の行使の閣議決定に怒って、2009年7月に作ったホームページを修正して、記録によると2014年7月6日か8月6日に僕のホームページを開設して、2冊の著書より後の超知識も含めて、以降に少しずつホームページ更新し始めた。

2015年
2015年12月25日の深夜に僕は、暗闇で階段を踏(ふ)みはずして、左足の踵(かかと)を骨折して、朝に福知山市民病院に入院して、入院中の2016年1月1日に『ホツマツタエ』16章を完全解釈し終わって、7冊目のノート『ホツマツタエ解釈3』が完成して、その後に他の史料と共に、新宿の出版社の株式会社文芸社へ送って、2023年7月11日に文芸社と縁切りして、6冊目と7冊目のノート(昔は7冊目と8冊目だが、諸事情で修正した)が行方(ゆくえ)不明で、後に盗まれた可能性に気付いた。

2018年
2018年11月26日は、西暦251年(天皇不在の年)に強行即位した日本武(やまとたけ)天皇が伯母(おば)の倭姫命(やまとひめのみこと)を殺して、出雲王国(物部(もののべ)氏)に亡命して、その後に出雲王国で邪馬台国(大和国;やまとこく)の政権奪取を企(くわだ)てたと気付いて、僕もまだまだ考え方が甘いことに気付いて、関連のホームページを修正した。
出雲王国(物部(もののべ)氏)の日本武(やまとたけ)天皇(男王;だんおう)は、邪馬台国(大和国;やまとこく)の息子の仲哀(ちゅうあい)天皇を殺害して、仲哀(ちゅうあい)天皇の正妻の神功(じんぐう)皇后(台与;とよ)が義父の日本武(やまとたけ)天皇を戦死させて、逆賊の日本武尊(やまとたけのみこと)を悲劇的英雄として歴史を改竄(かいざん)して、全てを有耶無耶(うやむや)にしたが、僕が隠れた真実の歴史をひもといた。

2020年
2020年は、西暦720年に『日本書紀』を献上して1300年目で、1910年(明治43年)に東大と京大が邪馬台国(大和国;やまとこく)論争を始めて110年目で、僕が40才を迎えた節目の年だった。
西暦507年3月に即位した継体(けいたい)天皇からが正史(正確に正しい歴史)として、506年以前が不明年代だが、14人の歴代天皇の時代で、完全な西暦年月を僕が証明して、初代の崇神(すじん)天皇から今上(きんじょう)天皇(今の天皇陛下)までが合計115代で、僕以外に誰も求められない史実・真実・事実である。

2020年4月4日の午後2時頃に僕は、73代目・武内宿禰(たけのうちのすくね)の竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏が2020年1月13日に亡くなったと知って、2020年4月6日に初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)と出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏の先祖である宇迦都久怒(うかずくぬ)が異母兄弟か従兄弟(いとこ)と判明して、関連のホームページを修正して、2025年8月9日に同母兄弟と判明した。

2020年4月中旬は、藤原氏の祖先神の津速産霊神(つはやむすびのかみ)が武神の兵主神(つわものぬしのかみ)と同一神と気付いて、「藤原氏の系図」のホームページを修正して、2020年5月上旬頃に千家(せんげ)氏と和珥(わに)氏と吉備(きび)氏の系図など、多くの古代豪族の系図を新しく作成して、「吉備(きび)氏の系図」と「埴輪(はにわ)」の章を論理的に証明して、2020年6月にある程度の記述や段落や章などのホームページをを整理・修正した。

2020年8月は、新しい章を少し加えて、ホームページを更新して、2020年8月下旬に「index.html」を大きく変更して、ホームページに新しい章を追加して、2020年9月12日に西暦251年の日本武(やまとたけ)天皇の反乱で、日本武(やまとたけ)天皇以外に仲哀(ちゅうあい)が皇位継承者だが、蘆髪蒲見王(あしかみかまみのみこ)も皇位継承者と考えられて、9月16日に三種の神器が間違いなく2種類あって、摂政(せっしょう)元年(西暦261年)の2皇子の皇位継承権争いを新しく求めた。
現在の三種の神器は、レプリカ(複製品)が存在するとされて、古代に三種の神器が2種類あった根拠にならないが、大和国(大和国;やまとこく)の仲哀(ちゅうあい)天皇と出雲王国(物部(もののべ)氏)の日本武(やまとたけ)天皇(男王;だんおう)の2朝廷並列時代、3度目の2皇子の皇位継承権争いなどを総合すると、古代に2種類あったと考えられて、はじき出される正当性が生み出す答えである。
古代天皇家の皇位継承権争いは、3度目の反乱が鹿坂皇子(かごさかのみこ)と忍熊皇子(おしくまのみこ)の兄弟の反乱と新しく気付いて、この2皇子の皇位継承権争いが存在したと、ようやく気付いた。
鹿は、「鹿」の漢字の下に弭で、ホームページで表示できるが注意書きにする。

2021年
2021年2月は、ホームページの年代を直して、新しい章などのホームページを少し追加したりして、2021年3月25日に父系(男系)と母系(女系)の天照大神(あまてらすおおみかみ)を区別して、4月にホームページを修正して、2021年7月に「天照大神(あまてらすおおみかみ)」や「女性天皇」や「女性宮家」や「神様も人物も女性中心」の章など女性皇族の皇室問題などを詳しく書き直して、父系(男系)と母系(女系)の皇室の血筋などをまとめ直して、他にも幾つかの章などを書き直した。

2021年9月に最初のページは、必読すべき文章の「単純にそのまま解釈すること」などを追加して、他に幾つかのホームページの章も修正して、もみじヶ丘病院に入院中の11月9日に母方の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の女系男子天皇を求めて、現在の女系天皇や女性天皇や女性宮家などの女性皇族問題を解決する「きっかけ」になった。

2022年
2022年6月1日は、日本武尊(やまとたけのみこと)の不倫を完全に求めて、9月20日に倭姫命(やまとひめのみこと;卑弥呼:ひみこ)の殺害日と葬礼日や出雲王国(物部(もののべ)氏)の建国年などが判明して、10月18日に初代天皇の崇神(すじん)天皇陵(崇神(すじん)天皇古墳)が奈良県橿原市の瀬田(せた)遺跡の円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)と判明した。

2023年
2023年5月20日頃に僕は、『ホツマツタエ』のアスス歴を調べて、5月25日の午後5時頃に『古事記』の崩年干支(ほうねんかんし)の正しさに気付いて、古代天皇家の西暦年を詳しく特定して、6月7日の午前9時頃にネット検索で、中世哲学の神の存在証明を知って、僕が人類史上初めて神様の存在を証明したと気付いて、6月9日が天皇皇后両陛下の結婚30年目で、僕のホームページの更新が日付的に近くて、6月13日に1年9ヶ月ぶりにホームページを更新した。

2023年5月25日の午後5時頃は、崩年干支(ほうねんかんし)が正しいと気付いて、西暦334年から506年までの歴代天皇年月を特定して、仁徳(にんとく)天皇が西暦334年即位の西暦367年死去で、4世紀前半から中頃の5代目天皇と判明して、仁徳(にんとく)天皇陵(仁徳(にんとく)天皇古墳と勘違いした大仙(だいせん)古墳が5世紀前半から中頃の築造年代で、仁徳(にんとく)天皇の孫の安康(あんこう)天皇陵(安康(あんこう)天皇古墳)が正しいと判明した。

2023年5月27日の午前中の郵便は、僕の自宅に株式会社文芸社から送り返された6冊目と7冊目のノートが行方(ゆくえ)不明で、後に盗まれた可能性に気付いて、6月13日から14日頃にユーチューブのコヤッキースタジオの暴露動画を見て、竹内氏の関係者の神職が『竹内文書(たけのうちもんじょ)』を一般公開するのを知って、6月18日の午後6時頃に僕のノートパソコンが不正アクセスされて、7月11日に新宿の出版社の株式会社文芸社と縁切りして、この3つの理由で、精神的に不安定になって、翌日7月12日にもみじヶ丘病院に医療保護入院した。
2023年5月27日に盗まれたと考えられる史料と6月18日の不正アクセスなどは、初(はじ)めて犯人が行動した瞬間で、僕が2021年10月2日の午後5時24分頃に飛び下り自殺未遂をして、福知山市民病院に入院して、転院したもみじヶ丘病院を本退院した2021年12月21日までに僕の自室に盗聴器や監視(隠(かく)し)カメラを仕掛(しか)けた可能性があって、計画的なストーカー行為で間違いない。
医療保護入院中に僕は、2023年7月15日の朝に和速日命(にぎはやひのみこと)を求めて、午後2時頃に水神と土の神様を求めて、午後4時頃に景行(けいこう)天皇時代の九州平定の景行(けいこう)天皇年月を特定して、7月19日の午後5時頃に物部氏のイメージを求めて、7月21日の午後7時頃に西暦329年から333年の神武(じんむ)東征(仁徳(にんとく)東征)の年代を特定して、西暦84年から329年までと西暦334年から506年までの歴代天皇年月を完全に統合して、決定的な決着である。
2003年7月頃に西暦84年から329年までを歴代天皇年月を特定した僕は、特定年代と合致する考古学(遺跡・遺物)と歴史学(歴史書解釈)の理論的な証拠を示して、不動で無敵の基礎理論を構築して、2023年5月25日の午後5時頃に西暦334年から506年までの歴代天皇年月を特定して、7月21日の午後7時頃に西暦329年から333年の神武(じんむ)東征(仁徳(にんとく)東征)の仁徳(にんとく)天皇年月を特定して、歴代天皇年月の空白年代を埋(う)めて、超天才の僕の大偉業が凄(すご)すぎる。

2024年
2024年4月4日の午後は、「記紀」に出雲の建国神話がなくて、ネット検索して『出雲国風土記』の国引き神話(出雲の建国神話)を求めて、出雲の創造神の八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)を特定して、出雲の建国神話と出雲王国(物部(もののべ)氏)の建国を理論的に合致させて、まさに大革命である。

2024年6月26日に僕は、景行(けいこう)天皇60年(西暦250年)の東国平定から、仲哀(ちゅうあい)天皇9年2月22日(西暦260年3月下旬頃)までの年代を特定して、詳細に分からなかった年代や内容や特徴を修正して、正しい古代天皇家の歴史の変化を書き出して、把握しやすい史料が作られた。

2024年8月は、ホームページ全体を大幅に修正して、今までの史料と比較できないほどバージョンアップしたと考えて、2024年9月下旬頃から10月22日の午後1時半頃まで、『古代天皇家の年表』の章に赤色と緑色の文字の区別を加えて、僕のホームページで唯一の古代天皇家の歴史を正確に統一して記した内容で、読んで古代天皇家の歴史を正確に把握できるが、2025年8月9日から10月16日までの作業で、『僕の閃(ひらめ)きのスピード』を書いて、大幅に修正された。
ホームページ全体を大幅に修正した2024年8月は、明確に時期を記してないが、7月28日と8月5日に新旧のノートパソコンのユーザーアカウントに不具合が出て、犯人から執拗(しつよう)なサイバー攻撃を受けたと考えられて、警察への被害届(ひがいとどけ)が当然である。

2025年
2025年4月に『古代天皇家の年表』の章は、緑字の全ての年代を修正して、他の章も色々と修正・追加して、6月までホームページを何度も更新して、2025年9月中にホームページの『古代天皇家の歴史』と『日本神話の完全解釈』と『現象学と自己認識の再構築』などの段落や『僕の閃(ひらめ)きのスピード』と『伊勢神宮』と『熊野大社と熊野三山』と『出雲大社』などの章も修正して、古代天皇家の人物や出雲王家(物部(もののべ)氏)の系図なども詳細に追加した。

2025年10月10日の公明党の裏工作は、日本政治の信頼を失墜(しっつい)させて、トランプ大統領の来日を中止させる危機的状況で、10月13日の午後0時頃にユーチューブの暴露JAPANの「【政界激震】トランプ訪日が中止の危機に!公明党の裏工作で日本の信用失墜か!?」を見て、僕が『古代天皇家の歴史』の章の「倭国大乱(わこくたいらん;狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱)」の修正を途中で投げ出して、一刻も早く『日本神話や中韓との断交理由』の章を公表して、高市早苗氏を初の女性首相にする「きっかけ」にしたいと考えた。
2025年8月9日から10月16日までの2ヶ月ちょっとは、『僕の閃(ひらめ)きのスピード』に記す数々の大発見を特定し続けて、10月16日にホームページ更新して、伊勢神宮内宮の最終遷宮が垂仁(すいにん)天皇26年9月16日(西暦177年10月中旬頃)で、西暦10月16日と旧暦9月16日の合致が約1ヶ月間ズレて、僕がホームページを更新した月日の合致も、運命的につながった。

2025年10月29日のホームページ更新は、トップページと『僕の閃(ひらめ)きのスピード』の章と、先に更新した『日本神話や中韓との断交理由』の章と関係する『倭国大乱(わこくたいらん;狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱)』の章の3つで、狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱の史実・真実・事実が圧倒的に衝撃で、2026年1月10日頃に題名(タイトル)を『僕の閃(ひらめ)きの進化スピード』に訂正した。
この更新は、『古代天皇家の歴史』と『日本神話の完全解釈』と『現象学と自己認識の再構築』などの段落を大きく修正して、『僕の閃(ひらめ)きのスピード』と『伊勢神宮』と『熊野大社と熊野三山』と『出雲大社』と『熱田(あつた)神宮』と『思兼神(おもいかねのかみ)と天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)』と『国宝と重文(重要文化財)の指定』などの章も大きく追加・修正・変更した。
『日本神話や中韓との断交理由』の章は、今までの歴史研究の下地を基礎にして、今までの史料を統一して纏(まと)めて、出雲王家(物部(もののべ)氏)と出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏の分家などの有力氏族が分家した時期、物部(もののべ)氏などの有力氏族が名字(みょうじ)を名乗り出した時期など、多くの史料を統合した。

2026年
2026年1月1日の午後10時10分(元旦(がんたん)は、1月1日の朝や午前中で、元日(がんじつ)が1月1日全体を指(さ)して、更新日時が元日(がんじつ)である。)のホームページ更新は、2025年12月24日にもみじヶ丘病院から退院して、まだ歴史研究の史料を修正中で、もっと修正が必要だが、文章の修正内容も重要性が見え隠(かく)れして、僕が大きく動き出す予定の前兆で、一応の応急処置として更新した。

2026年2月11日の建国記念の日(嘘(うそ)の日本国ができた日は、仮(かり)の日本国ができた日が正しい認識である。)は、僕本人が3回も、宮内庁(くないちょう;天皇家(皇室)を司(つかさ)る省庁)にメール送信して、2月15日までその3回も含(ふく)めて、合計7回も宮内庁(くないちょう)にメール送信して、2月11日と2月14日に日本語入力ソフトWORDで、作成した合計12ページほどの超知識の論文を出雲大社のメールアドレスに送り付けて、伊勢神宮に関する史料修正が完成してないため、伊勢神宮(神宮司庁;じんぐうしちょう)に一度も、メール送信しなかった。

2026年2月23日(天皇誕生日)は、以前から僕が歴史研究の公表をすると宣言(せんげん)して、午前11時40分頃に僕がノートパソコンのメールアドレスのアカウントパスワードとPIN(ピン)を変更して、犯人が盗聴器や監視(隠(かく)し)カメラで監視して、ノートパソコンをサイバー攻撃して、結果的に僕がノートパソコンのメールアドレスを削除して、データを奪(うば)えなかったことから、僕がもみじヶ丘病院に入院する前日の3月2日の夜から当日3月3日の深夜までに僕の自室に不法侵入して、確実に2ヶ所に分けて置いた史料を盗(ぬす)んだと考えられて、完全に悪質な犯人が存在すると考えられる。
悪質な犯人の存在の可能性は、僕自身の恐怖心や不安を増長(ぞうちょう)させて、決して許(ゆる)せない超凶悪犯罪に対して、犯人の行きすぎた行動が僕本人の完全なる反撃に火を付けて、誰も止(と)められない僕を暴走(バーサーカー)状態に追い込んでしまって、僕と言う人間の本当の恐(おそ)ろしさを認識して、いずれ日本中や世界中が圧倒的な史実・真実・事実を知ることになるだろう。

2026年9月10日(木)の午前11時分40頃に僕は、中央タクシーに乗って、ジャスコ(イオン)福知山店に向かう時、タクシー運転手に有力な古代豪族の弱体化を歴史談義して、後に文章化した史料作成をして、出雲大社ができた年代を特定した可能性があって、「記紀(きき;『古事記』と『日本書紀』)」の総合監督の藤原不比等(ふじわらのふひと)が有力な古代豪族を弱体化させた理由が幾(いく)つも分かって、これを特定することが僕の歴史研究の最終目標だったと思えて、それを後世に伝(つた)える必要性・重要性を再認識した。
10月4日に僕は、(藤原不比等(ふじわらのふひと)が有力な)『古代豪族を弱体化させた理由』の章と、『継体(けいたい)天皇の(皇位)継承問題』の章の2つを作(つく)り終えて、僕にとっても非常に重要で、これからの天皇家(皇室)にとっても、決(けっ)して目を背(そむ)けてはならない問題で、かなり重要な意味・価値を持つ問題のはずで、大切な内容を熟読して、大切な意味を考えてほしいと願(ねが)う。

終わりに
古代天皇家の歴史は、『ホツマツタエ』や「記紀」などの歴史書を世界中で僕だけが正しく完全解釈できて、日本神話と邪馬台国(大和国;やまとこく)論争と倭(わ)の五王を完全にチェックメイトして、わずかな痕跡(こんせき)も見逃さないで、考古学(遺跡・遺物)と歴史学(歴史書解釈)を合致して、史実・真実・事実を求めた。
世界一の超天才の僕と現代人(僕以外の人間)の差は、神様と人間や宇宙と地球のような違いで、23年以上の歴史研究で、体得した超知識の神技(かみわざ)で、歴史研究の経験で生まれた感覚で、二度と作れない奇跡の御業(みわざ)だろう。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借

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