『日本書紀』の「尊(みこと)」と「命(みこと)」の書き違い

書き違いの大発見
2003年3月頃に僕は、『日本書紀』の神名と人名の末名の「尊(みこと)」と「命(みこと)」を特定して、神名が天皇皇后と重要人物を神格化して、人名が歴代天皇と国政執行した人物だけで、景行(けいこう)天皇の息子の成務(せいむ)天皇と日本武尊(やまとたけのみこと)を同一人物と疑(うたが)って、僕の直感が正しいと証明した。
尊名(そんめい;他人を尊敬する人名)や尊称(そんしょう;他人を尊敬する名称)の「尊(みこと)」は、2003年3月頃に『日本書紀』の神名と人名の「尊(みこと)」と「命(みこと)」の書き違いに気付いて、神名の「尊(みこと)」が歴代の天皇皇后と重要人物を神格化して、人名の「尊(みこと)」が歴代天皇と国政執行した人物だけで、神名と人名の「命(みこと)」が一般レベルの神様と人物に使用して、2002年10月頃に歴史研究を始めて、約5ヶ月後に判明して、現在の僕本人の基礎理論(僕の基本的な考え方)である。

『先代旧事本紀(せんだいくじほんき)』の饒速日尊(にぎはやひのみこと)
後の歴史研究中に僕は、『先代旧事本紀(せんだいくじほんき)』の神様の饒速日尊(にぎはやひのみこと)も、神名の末名の「尊(みこと)」と「命(みこと)」の漢字の書き違いが『日本書紀』と共通して、『日本書紀』より後世にできた歴史書と証明して、饒速日尊(にぎはやひのみこと)が物部(もののべ)氏3人を神格化して、1神に統合したのを特定した時期が分からないが、僕の超知識の凄(すさ)まじさを物語る。
つまり『先代旧事本紀(せんだいくじほんき)』の饒速日尊(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)と息子の狭穂彦王(さほひこのみこ)と子孫の初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)の3人を神格化)は、神名の末名の「尊(みこと)」と「命(みこと)」の漢字の書き違いが『日本書紀』と共通して、『日本書紀』より後世にできた歴史書と証明して、饒速日尊(にぎはやひのみこと)が物部(もののべ)氏3人を神格化して、1神に統合したのを特定した時期が不明だが、僕の超知識の凄(すさ)まじさを物語る。
男性の古代太陽神の天照神(あまてるかみ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、天照玉神(あまてるたまのかみ)や天照御魂神(あまてるみたまのかみ)や天照国照命(あまてるくにてるのみこと)や天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)や天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)などの別名があって、尊名(そんめい;他人を尊敬する人名)の「尊(みこと)」が出雲王家(物部(もののべ)氏)の一番最初の祖先神だからである。
『先代旧事本紀(せんだいくじほんき)』は、間違いなく『日本書紀』を献上した西暦720年以降にできた歴史書で、「尊(みこと)」と「命(みこと)」の書き違いの饒速日尊(にぎはやひのみこと)、物部(もののべ)氏や尾張(おわり)氏の系図、『先代旧事本紀(せんだいくじほんき)』10巻の『国造本紀(くにみやつこほんき)』の記述などが存在して、僕が重要性や正当性を証明した。

天照大日靈尊(あまてらすおおひるめのみこと)と稚日女尊(わかひるめのみこと)
産霊(産巣日;むすび)は「生み出す」と言う意味で、神皇産霊尊(かむみむすびのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)の別名が神魂命(かむみむすびのみこと)と神産巣日神(かみむすびのかみ)で、皇族の神様を生み出す神様の意味で、息子の稚産霊(わくむすび;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)の別名が和久産巣日神(わくむすびのかみ)で、伊勢神宮外宮の祭神で、食物(しょくもつ)神の豊受姫神(とようけひめのかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)を生み出す意味である。
『日本書紀』の天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話の一書(ある説によると)に登場する稚日女尊(わかひるめのみこと;倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后の2人を神格化)は、太陽神の天照大日靈尊(あまてらすおおひるめのみこと;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)をを指(さ)す場合と、豊受姫神(とようけひめのかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)と同一神の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)を指(さ)す二重性が存在するが、素直(すなお)に『日本書紀』を読むと、稚日女尊(わかひるめのみこと)が天照大日靈尊(あまてらすおおひるめのみこと)を指(さ)す。
昔の僕は、稚日女尊(わかひるめのみこと)の正体が出雲王国(物部(もののべ)氏)の4代目出雲国王の物部十市根(もののべのといちね)と結婚した大中姫(おおなかひめ)と勘違いして、天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話が伊勢国(いせのくに;三重県中部)と出雲(いずも;島根県東部)と関係するためで、倭姫命(やまとひめのみこと)の異母妹の大中姫(おおなかひめ)と勘違いしたのも、仕方ない基本的な考え方だった。
倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化した天照大日靈尊(あまてらすおおひるめのみこと)と稚日女尊(わかひるめのみこと)は、「尊(みこと)」の尊名(そんめい;他人を尊敬する人名)や尊称(そんしょう;他人を尊敬する名称)を証明して、神功(じんぐう)皇后を神格化した稚日女尊(わかひるめのみこと)の尊名(そんめい;他人を尊敬する人名)や尊称(そんしょう;他人を尊敬する名称)も、超重要性を証明した。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)と日本武尊(やまとたけのみこと)と成務(せいむ)天皇
稚足彦尊(わかたりひこのみこと)の成務(せいむ)天皇は、異母兄弟の日本武尊(やまとたけのみこと)と同一人物で、景行(けいこう)天皇の2皇子(稚足彦尊と日本武尊)が2人共(とも)に尊名(そんめい;他人を尊敬する人名)や尊称(そんしょう;他人を尊敬する名称)の「尊(みこと)」を持つことがあり得ず、日本武尊(やまとたけのみこと)本人が素戔嗚尊(すさのおのみこと)にそっくりと言われることが多くて、それらの謎(なぞ)を超天才の僕が暴(あば)いた。
素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)の八重垣剣(やえがきのつるぎ)を継承して、出雲(いずも;島根県東部)の八岐大蛇(やまたのおろち)を退治(たいじ)して、その尻尾(しっぽ)から三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)の天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を入手して、姉(正しくは伯母;おば)の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)に献上(けんじょう)したが、伯母(おば)を殺したのが正しい。
日本武尊(やまとたけのみこと)は、東海平定で伯母(おば;父の姉)の倭姫命(やまとひめのみこと)から、三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)の草薙剣(くさなぎのつるぎ)を受け取って、父親の景行(けいこう)天皇が死去して、皇位継承権争いを終わらせるために奈良県に戻って、三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)を強奪(ごうだつ)して、日本武(やまとたけ)天皇に強行即位して、皇位継承権争いに敗(やぶ)れて、出雲(いずも;島根県東部)王国(物部(もののべ)氏)に亡命して、出雲(いずも)の統治者である出雲建(いずもたける)の7代目出雲国王の飯入根(いいいりね)を暗殺した。
稚足彦尊(わかたりひこのみこと)の成務(せいむ)天皇は、父親の景行(けいこう)天皇の息子で、異母兄弟の日本武尊(やまとたけのみこと)と同一人物で、『日本書紀』で死去した成務(せいむ)天皇60年6月11日が出雲(いずも)大社で、神有祭(かみありさい)の始(はじ)まる旧暦10月11日と日付が合致するなど共通性が多くて、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と日本武尊(やまとたけのみこと)と成務(せいむ)天皇が出雲(いずも;島根県東部)の共通性を簡単に証明できる。
日本武尊(やまとたけのみこと;素戔嗚尊(すさのおのみこと)と成務(せいむ)天皇と同一人物)は、景行(けいこう)天皇27年1月12日(西暦217年2月)に出雲(いずも;島根県東部)王国(物部(もののべ)氏)の3代目出雲国王・野見宿禰(のみのすくね)の養女である弟橘姫(おとたちばなひめ)との不倫(ふりん)が発覚して、弟橘姫(おとたちばなひめ)が出雲王国に帰国して、不倫(ふりん)相手の弟橘姫(おとたちばなひめ)を追って、出雲に行った日本武尊(やまとたけのみこと)が蘆髪蒲見王(あしかみかまみのみこ)など、7人の息子をもうけた。
日本武尊(やまとたけのみこと)は、景行(けいこう)天皇60年10月2日(西暦250年11月頃)に東海平定に出陣したが、翌月11月7日(西暦250年12月頃)に父親の景行(けいこう)天皇が死去して、皇位継承権が起きて、翌年(よくねん)の日本武(やまとたけ)天皇元年8月4日(西暦251年9月頃)に奈良県で、成務(せいむ)天皇(日本武(やまとたけ)天皇と同一人物)になって、日本武(やまとたけ)天皇元年9月(西暦251年9月頃)に正妻の弟橘姫(おとたちばなひめ)が奈良市近郊の奈良坂(ならさか)の付近で戦死した。
戦況が不利な日本武(やまとたけ)天皇は、太陽神・天照大神(あまてらすおおみかみ)の巫女(みこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)を頼(たよ)ったが、日本武(やまとたけ)天皇元年10月7日(西暦251年11月頃)に三重県伊勢市の磯(いそ)神社で倭姫命(やまとひめのみこと)を殺して、古代天皇家で禁忌の太陽神殺しをおかして、日本武(やまとたけ)天皇元年11月4日(西暦251年12月頃)に日本武(やまとたけ)天皇と弟橘姫(おとたちばなひめ)の息子で、皇位継承者の蘆髪蒲見王(あしかみかまみのみこ)が山城(京都府南部)で戦死して、出雲(いずも)王国(物部(もののべ)氏)に亡命した。
出雲(いずも)の国譲(くにゆず)り神話は、仲哀(ちゅうあい)天皇9年神無月11日から17日(西暦260年11月頃)の出雲(いずも)王国(物部(もののべ)氏)の崩壊で、素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武(やまとたけ)天皇を神格化)が婿(むこ)養子で、7代目出雲国王の2代目・大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)を暗殺して、天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)が経津主神(ふつぬしのかみ;武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)と吉備彦(きびひこ)に素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武(やまとたけ)天皇を神格化)を殺させた。
日本武尊(やまとたけのみこと)は、基本的にあやしい記述が多くて、超天才の僕が理論的に暴(あば)いた通りで、皇太子と天皇が正しくて、素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)の姉(正しくは伯母;おば)の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)殺しが禁忌の太陽神殺しで、末名の「尊(みこと)」が素戔嗚尊(すさのおのみこと)と日本武尊(やまとたけのみこと)と成務(せいむ)天皇の共通性を証明して、誰の本論も許(ゆる)さない。

隠(かく)された本名(ほんみょう)の豊姫尊(とよひめのみこと)
母方の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)は、古代太陽神の天照神(あまてるかみ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の曾曾孫で、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)の正妻で、孫の火火出見尊(ほほでみのみこと;5代目天皇の仁徳(にんとく)天皇を神格化)から、現在の115代目天皇の天皇陛下まで、母方の太陽神の女系男子天皇が続く理由で、女系天皇や女性天皇や女性宮家などの女性皇族問題を解決する「きっかけ」である。
天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の曾曾孫の天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)の曾曾孫の天照大神(あまてらすおおみかみ)が正しくて、天照神(あまてるかみ)が彦坐王(ひこいますのみこ)と倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后の3人を神格化して、天照大神(あまてらすおおみかみ)が倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后の2人だけを神格化して、絶対に彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化しない鉄則がある。
天照神(あまてるかみ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の曾孫の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)は、名字(みょうじ)が倭(やまと)の考え方があるが、通称の人名(日常生活や世間一般で使う名前)で、天照神(あまてるかみ)の曾曾孫の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)が出雲王家(物部(もののべ)氏)出身で、ワザと抹消(まっしょう;塗(ぬ)りつぶして消(け)すこと)した本名(ほんみょう)が豊姫尊(とよひめのみこと)と考えられる。

出雲王家(物部(もののべ)氏)の祖先神の天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)は、子孫が父方の女性の太陽神が稚日女尊(わかひるめのみこと;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)で、僕が今まで、稚日女尊(わかひるめのみこと;大中姫(おおなかひめ)を神格化)と勘違いして、同じく子孫の母方の太陽神が天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)で、別名が息長足姫尊と豊姫尊(とよひめのみこと)で、物部(もののべ)氏と尊名(そんめい;他人を尊敬する人名)の共通性を超天才の僕が証明した。
尊名(そんめい;他人を尊敬する人名)や尊称(そんしょう;他人を尊敬する名称)の「尊(みこと)」は、2003年3月頃に『日本書紀』の神名と人名の「尊(みこと)」と「命(みこと)」の書き違いに気付いて、神名の「尊(みこと)」が歴代の天皇皇后と重要人物を神格化して、人名の「尊(みこと)」が歴代天皇と国政執行した人物だけで、神名と人名の「命(みこと)」が一般レベルの神様と人物に使用して、特定した僕の超感性が凄(すご)すぎて、2002年10月頃に歴史研究を始めて、約5ヶ月後に判明した奇跡である。

倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后は、『三国志・魏志倭人伝』の女王と勘違いした邪馬台卑弥呼(やまとひみこ)と台与卑弥呼(とよひみこ)で、台与卑弥呼(とよひみこ)が隠された人名の豊姫尊(とよひめのみこと)で、父方の天照大神(あまてらすおおみかみ)と母方の天照大神(あまてらすおおみかみ)に神格化した。
邪馬台卑弥呼(やまとひみこ)は、倭姫命(やまとひめのみこと)で、台与卑弥呼(とよひみこ)が神功(じんぐう)皇后の隠された人名の豊姫命(とよひめのみこと)で、日本神話と邪馬台国(大和国;やまとこく)論争が合致すると古代天皇家が熟知して、「記紀」で隠したのが100%間違いない。
栲幡千千姫(たくはたちちひめ;神功(じんぐう)皇后を神格化)は、別名を万幡豊秋津姫(よろずはたとよあきつひめ)で、『ホツマツタエ』が祖母のトヨヒメ(豊姫;高田媛(たかだひめ)を神格化)を記して、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争の台与(とよ)に当たって、古代天皇家と出雲王家(物部(もののべ)氏)の血筋と証明して、豊受姫神(とようけひめのかみ)や豊玉姫(とよたまひめ)が別の神様である。
豊受姫神(とようけひめのかみ)は、元々が男神(おがみ)で、彦坐王(ひこいますのみこ)や丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)や垂仁(すいにん)天皇などを神格化して、豊玉姫(とよたまひめ)が磐之姫命(いわのひめのみこと)を神格化して、台与卑弥呼(とよひみこ)と無関係で、稚日女尊(わかひるめのみこと)と豊姫尊(とよひめのみこと)などを2026年2月22日の午前6時半に修正し終えた。

まとめ
2026年5月30日の午前8時半に修正し終えた僕は、尊名(そんめい;他人を尊敬する人名)や尊称(そんしょう;他人を尊敬する名称)の「尊(みこと)」の意味・価値を正しく評価して、人類史に公表できる世界唯一の人間である。

<参考文献>

インターネットの不明サイトから少々拝借

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