僕が超重視する歴史書順
僕が歴史研究を始めて2年後の2004年11月頃に超重視した日本国内の歴史書順は、『ホツマツタエ(秀真伝)』と『日本書紀』と『古事記』と『先代旧事本紀(せんだいくじほんき)』の順番で、正統(せいとう)『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の存在を知らなくて、古代中国の歴史書順が邪馬台国(やまたいこく;大和国:やまとこく)論争の『三国志(さんごくし)・魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』と『後漢書(ごかんしょ)』と倭(わ)の五王(ごおう)の『宋書(そうしょ)』の順番である。
この歴史書順は、2冊の『私という存在』のノートを基本に記して、僕が歴史研究を始めた2002年10月頃に『日本書紀』と『古事記』の現代語訳本(参考文献『日本書紀(上)(下)全現代語訳―全二巻―』と『古事記(上)(中)(下)―全三巻―』)を購入して、おそらく11月頃に『三国志(さんごくし)・魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』と『後漢書(ごかんしょ)』と『宋書(そうしょ)』の現代語訳本(参考文献『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』)を購入して、おそらく2003年11月頃に『先代旧事本紀(せんだいくじほんき)』の現代語訳本(参考文献『先代旧事本紀 訓註』)を購入した。
2004年2月上旬から中旬に僕は、参考文献『ホツマ辞典』(『ホツマツタエ(秀真伝)』の辞典)を購入して、おそらく2012年か2014年に参考文献『完訳秀真伝(かんやくほつまつたえ)』を購入して、僕が使用する最重要史料『ホツマツタエ(秀真伝)』を完全に理解しない凡人(僕以外の全(すべ)ての人間)なら、超天才の僕が一つ一つ手取(てと)り足取(あしと)り教(おし)え導(みちび)く意味・価値が一切なくて、古代日本史(古代天皇家の歴史)研究を完全に舐(な)め腐(くさ)った未熟者で、超大切な意味・価値を理解できない大馬鹿者である。
2004年2月上旬から中旬に読んだ参考文献の『ホツマ辞典』は、ヤマトヒメの異母弟が景行(けいこう)天皇と知って、天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)の弟が月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)で、『三国志(さんごくし)・魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』の卑弥呼(ひみこ)である倭姫命(やまとひめのみこと)の男弟(だんてい)が景行(けいこう)天皇で、3例の姉弟(してい)関係が合致して、この証拠の発見が『ホツマツタエ』を僕が一番使う最重要史料に押(お)し上げた理由である。
2002年10月頃に購入した参考文献の『日本書紀(上)(下)全現代語訳―全二巻―』は、最初に黄泉国下(よみのくにくだ)り神話と狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱(邪馬台国(大和国:やまとこく)論争の倭国大乱:わこくたいらん)を合致して、系図の神格化と史実(歴史上の事実)の神話化を証明して、次に『日本書紀』の神名と人名の末名の「尊(みこと)」と「命(みこと)」の書き違いを特定して、次に系図の祖先化を特定して、に『古事記』の干支年(かんしねん)の崩年干支(ほうねんかんし)をヒントにして、『日本書紀』の干支年(かんしねん)の即位年干支法(そくいねんかんしほう)を特定した。
2002年10月頃に購入した参考文献の『古事記(上)(中)(下)―全三巻―』は、建御雷神(たけみかづちのかみ;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)が『日本書紀』の経津主神(ふつぬしのかみ;武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)と同一神を仄(ほの)めして、天之日矛(あめのひぼこ)の系図が『日本書紀』の天日槍(あめのひぼこ)の系図と合致せず、『古事記』の因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)神話が『日本書紀』に記さないなどの特徴があるが、2004年11月までに全(すべ)て気付いたか不明である。
おそらく2003年11月頃に購入した参考文献の『先代旧事本紀(せんだいくじほんき) 訓註』は、饒速日尊(にぎはやひのみこと)を古代太陽神と疑(うたが)って、10巻の『国造本紀(くにみやつこほんき)』統治者の「国造(くにみやつこ)」を記すと気付いて、2003年12月頃に東北地方南部から関東地方の統治者の「国造(くにみやつこ)」を特定して、超天才の僕が規格外の超頭脳や超知識を示(しめ)した。
2004年11月時点の茨城(いばらぎ)『竹内文書(たけのうちもんじょ)』と正統(せいとう)『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、完全に眼中(がんちゅう)にないのと知らない対象外の歴史書で、詳細を下記に記す。
おそらく2002年11月頃に購入した参考文献の『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』で知った『三国志(さんごくし)・魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』は、女王と勘違いした卑弥呼(ひみこ)の男弟(だんてい)の正体や、邪馬台国(やまたいこく;大和国:やまとこく)と女王国(伊勢国;いせこく:三重県中部)の違いや、僕と凡人(僕以外の全(すべ)ての人間)の決定的な現代日本語訳の完全解釈の大差(たいさ)など、超天才の僕の根本的な認識力や理解力や判断力や分析力などが神様レベルで、凡人(僕以外の全(すべ)ての人間)が勝負する眼中(がんちゅう)に入らない存在である。
同じ参考文献で知った『後漢書(ごかんしょ)』は、「桓霊間(かんれいかん)、倭国大乱(わこくたいらん)」が西暦156年から158年の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱;倭国大乱:わこくたいらん)と西暦176年の卑弥呼(ひみこ)共立(倭姫命(やまとひめのみこと)を伊勢神宮の斎王(さいおう;太陽神に使える未婚の皇女)任命)と西暦181年から190年の後漢(ごかん)王朝遣使(遣漢使;けんかんし)の3つの出来事を含(ふく)むと特定して、他の証拠も色々と特定して、当時の超天才の僕が規格外の認識力だったと簡単に証明できる。
同じ参考文献で知った『宋書(そうしょ)』は、南朝宋(そう)王朝の西暦421年から478年まで遣使(けんし)して、倭(わ)の五王(ごおう)の定説が応神(おうじん)天皇から雄略(ゆうりゃく)天皇までの7天皇の中で、五王(ごおう)が5天皇と求めたのが完全な間違いで、僕の自論の安康(あんこう)天皇から武烈(ぶれつ)天皇までが正しくて、2004年11月までに西暦421年から478年を何天皇何年と特定できないが、完全に史実・真実・事実を確信して、世界唯一の答えを知った超天才が僕だった。
2002年10月頃から2004年11月頃までの2年間で僕は、歴史研究を始めてから、超成長・超発展の一大理論が凄(すさ)まじすぎて、当時の僕の才能が片鱗(へんりん)だけでも驚異的(きょういてき)だが、それを完全に理解しない凡人(僕以外の全(すべ)ての人間)の大馬鹿者がいるなら、僕の爪(つめ)の垢(あか)を煎(せん)じて飲(の)ませて、超大切な学習の重要性を学(まな)ばせたい。
現在の僕が超重視した日本国内の歴史書順は、『ホツマツタエ(秀真伝)』と『日本書紀』と正統(せいとう)『竹内文書(たけのうちもんじょ)』と『先代旧事本紀(せんだいくじほんき)』と『古事記』の順番で、古代中国の歴史書順が『三国志(さんごくし)・魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』と『後漢書(ごかんしょ)』と『宋書(そうしょ)』の順番である。
現在の『ホツマツタエ』に対する僕の認識は、16章にお腹の中の胎児を記した現代医学の超知識と、精子が骨と脂肪で、卵子が血液と内臓になると遺伝子レベルの超知識を記して、超天才の僕が『ホツマツタエ』16章の現代医学と遺伝子レベルの超知識を公表する史実・真実・事実の未来を知ったからで、日本最古の書物の『ホツマツタエ』が編者を聖徳太子か、聖徳太子の命令で纏(まと)められて完成して、聖徳太子が100%未来人で、聖徳太子が国家規模で未来に託(たく)した最後の希望と考えられて、古代日本史(古代天皇家の歴史)研究の最重要史料が今も変わらない。
現在の『日本書紀』に対する僕の認識は、日本国内で3番目に古い書物で、「記紀」(『古事記』と『日本書紀』)を編纂(へんさん)する未来を聖徳太子の遺言(ゆいごん)で実現して、『ホツマツタエ』と「記紀」の3大重要史料を纏(まと)める国家事業を聖徳太子の暗躍(あんやく)で、作り上げた本当の秘史(ひし;秘密の歴史)を超天才の僕が暴(あば)いて、『日本書紀』の超重要性が現在の僕が2番目の重視する歴史書としての意味・価値が大切で、第一級史料としての本当の意味・価値を判断できない凡人(僕以外の全(すべ)ての人間)が僕のおかげで、完全解釈できるのが事実である。
現在の正統(せいとう)『竹内文書(たけのうちもんじょ)』に対する僕の認識は、日本国内で3番目に超重要な第一級史料と意識して、西暦235年生まれの初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)から2020年に亡くなった73代目・武内宿禰(たけのうちのすくね)の竹内睦泰(たけうつむちひろ)氏まで、正統(せいとう)な武内宿禰(たけのうちのすくね)の名前と口伝(くでん;口頭(こうとう)で伝(つた)える伝承)を守り通して、その意味・価値の超重要性を僕が軽(かろ)んじる大馬鹿者でなく、別伝の茨城(いばらぎ)『竹内文書(たけのうちもんじょ)』を僕自身が信憑性(しんぴょうせい)を重視しない。
現在の『先代旧事本紀(せんだいくじほんき)』に対する僕の認識は、日本国内で4番目に超重要な第一級史料と意識して、物部(もののべ)氏の一番最初の祖先神で、男性の古代太陽神でもある饒速日尊(にぎはやひのみこと)の超重要性を軽視せず、僕が求めた正当性の完全解釈を凡人(僕以外の全(すべ)ての人間)が正しく理解して、後世に残(のこ)して行く古伝承としての意味・価値を把握して、未来の古代日本史(古代天皇家の歴史)研究で、役立つ第一級史料と評価して、古代日本の太陽信仰や古代太陽神を正しく理解して、未来の研究者たちを導(みちび)いてほしいと思う。
現在の『古事記』に対する僕の認識は、日本国内で2番目に古い書物で、日本国内の歴史書として十分に重宝(ちょうほう)せず、むしろ『日本書紀』と正統(せいとう)『竹内文書(たけのうちもんじょ)』と『先代旧事本紀(せんだいくじほんき)』よりも軽(かろ)んじて、現在の専門家(考古学会と歴史学会)の認識力と超天才の僕の認識力が乖離(かいり)した証拠で、23年半以上の歴史研究の成果で、僕自身がその重要性を見直して、導(みちび)き出された史実・真実・事実の結果で、誰が悪いわけでもなく、僕個人の認識力や判断力で、評価した結果である。
現在の古代中国の歴史書3つに対する僕の認識は、歴史研究を始めた当時から優先順位や意味・価値が変わらず、その超重要性や僕の現代日本語訳の特徴や研究など、これからの未来に必要な超重要性を正しく評価して、未来の研究者たちが作り出す希望を想像(創造)しながら、ここまでで綴(つづ)る。
<参考文献>
2冊の『私という存在』のノート
著者・僕
『ホツマ辞典』
著者・池田満 発行・ホツマ刊行会
『完訳秀真伝』
編著者・鳥居礼 発行・八幡書店
『日本書紀(上)(下)全現代語訳―全二巻―』
著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社
『古事記(上)(中)(下)―全三巻―』
著者・次田真幸 発行・株式会社講談社
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
編訳者・石原道博 発行・株式会社岩波書店
『先代旧事本紀 訓註』
著者・大野七三 発行・批評社
インターネットの不明サイトから少々拝借
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