八重垣剣(やえがきのつるぎ)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)

八重垣剣(やえがきのつるぎ)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)は、皇位継承の証(あかし)である三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)の神剣で、『ホツマツタエ』が完全に別々の神剣と記して、『ホツマツタエ』以外の歴史書で、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の別名が八重垣剣(やえがきのつるぎ)と記して、『ホツマツタエ』の八重垣剣(やえがきのつるぎ)の記述が正しい可能性を証明して、2神剣の正しい解釈を超天才の僕が考察する。

ミクサタカラ(三種神器;さんしゅのじんぎ)の一つに数(かぞ)えるツルギ(剣)の歴史は、幾(いく)つかの段階があって、そもそもの起(お)こりが6代目アマカミ(天神)のオモタル(面足;崇神(すじん)天皇を神格化)の時代に罪人が出現して来て、世の中に混乱が起きて、罪人を処罰する必要に迫(せま)られて、オモタル(崇神(すじん)天皇を神格化)が木を伐(き)るオノ(斧)で、罪人を斬(き)って世を統治して、オノ(斧)に変換する新しいホコ(矛)を作らせて、イザナギ(伊弉諾;垂仁(すいにん)天皇を神格化)に譲渡(じょうと)した。
7代目アマカミ(天神)のイザナギ(垂仁(すいにん)天皇を神格化)は、このホコ(矛)をサカホコ(逆矛)とも呼んで、サカホコ(逆矛)を使って世の中に平安を齎(もたら)して、時代の8代目アマカミ(天神)のアマテルカミ(天照神;景行(けいこう)天皇を神格化)に譲渡(じょうと)して、治安の維持だけを計画するのでなく、さらに人心の安(やす)らぎと共存をさせるため、サカホコ(逆矛)を変換して、ツルギ(剣)を作らせて、これをヤエガキノツルギ(八重垣剣)と言う。
ツルギ(剣)の語源は、「ツ」が木の枯(か)れる季節の西を意味して、つまり罪人が社会的な生命を尽(つ)き枯(か)れることを指(さ)して、「ル」が社会的な生命を尽(つ)き枯(か)れる状態を強調する意味で、「ギ」が樹木に例(たと)えて、生命がある時に「キ」の清音(せいおん)で表現して、罪人がすでに尽(つ)き枯(か)れた状態を濁音(だくおん)の「ギ」と表現して、つまり「ツルギ(剣)」が罪(つみ)なき人々に無縁(むえん)と表現する名付けとされる。

アマテルカミ(天照神;景行(けいこう)天皇を神格化)は、カネリ(鍛冶師)に作らせた八振(はちふ)りのツルギ(剣)に「ヤエガキ(八重垣)」と名付けて、アマテルカミ(天照神)の発案で、カネリ(鍛冶師)が左目をつぶって、右目一つで剣を鍛(きた)えて、罪(つみ)ある物だけを斬(き)って、罪(つみ)なき者を斬(き)らなくするためで、このカネリ(鍛冶師)にアマメヒトツ(天目一箇)やアメマヒ(天麻比)やアマヒトカミ(天一神)の神名を与(あた)えた。
一般的な神名(一般人が使う神名)の天目一箇神(あめまひとつのかみ)は、『ホツマツタエ』のアマメヒトツ(天目一箇;先祖の彦坐王(ひこいますのみこ)と子孫の武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)の神名を重視して、神名の違いを正しく把握する必要がある。

崇神(すじん)天皇4年10月23日(西暦87年11月頃)は、ヤタノカガミ(八咫鏡)をイシコリドメ(石凝姥;誰を神格化したか不明)の孫に作らせて、ヤエガキノツルギ(八重垣剣)をアマメヒトツ(天目一箇;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の孫(彦坐王(ひこいますのみこ)本人を指(さ)す)に作らせて、アマメヒトツ(彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の孫が草薙剣(くさなぎのつるぎ)を作った子孫の武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化したと考えられる。
崇神(すじん)天皇6年9月16日(西暦89年10月中旬頃)の夜は、奈良県天理市の大和(おおやまと)神社を遷宮(せんぐう)して、ヤエガキノツルギ(八重垣剣)を奉納して、三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)の神鏡と神剣が2種類あって、オリジナル(原物;げんぶつ)とレプリカ(複製品の形代;かたしろ)が存在して、大和(おおやまと)神社にヤエガキノツルギ(八重垣剣)を奉納して、熱田(あつた)神宮に草薙剣(くさなぎのつるぎ)を奉納したと考えられる。
神功(じんぐう)皇后時代の摂政(せっしょう)3年1月3日(西暦263年2月頃)に誉田別尊(ほむだわけのみこと;即位しない応神(おうじん)天皇)は、立太子(りったいし;皇太子にすること)した時にアマメヒトツ(武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)が草薙剣(くさなぎのつるぎ)を作ったと考えられて、これを2026年6月22日頃に求めた。
先祖のアマメヒトツ(天目一箇;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)と子孫のアマメヒトツ(武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)は、ヤエガキノツルギ(八重垣剣)のレプリカ(複製品の形代;かたしろ)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)を作った史実(歴史上の事実)を重(かさ)ねて、史実・真実・事実を隠(かく)してしまったが、超天才の僕が全(すべ)て暴(あば)いたと考えられる。
僕はかつて八重垣剣(やえがきのつるぎ)が2種類で、入れ替わった草薙剣(くさなぎのつるぎ)が一種類で、後世に2種類の伝承に戻って、現在の草薙剣(くさなぎのつるぎ)が2種類ある伝承につながると記すが、なぜ自分がそう考えたのか、今となっては分からなくて、考えるだけ無駄である。
草薙剣(くさなぎのつるぎ)を作ったアマメヒトツ(武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)は、布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)の化身の経津主神(ふつぬしのかみ;武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)と、布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)を連想させる布刀玉命(太玉命;ふとだまのみたま;武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)とも同一神で、刀剣(とうけん)の神様の共通性を証明できる。

2026年2月19日のデイケア参加中の午後0時5分から8分は、『ホツマツタエ』崇神(すじん)天皇6年(西暦89年)に天目一箇神(あめまひとつのかみ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の孫(彦坐王(ひこいますのみこ)本人)が八重垣剣(やえがきのつるぎ)のレプリカ(複製品の形代;かたしろ)を作って、崇神(すじん)天皇12年(西暦95年)に出雲(いずも;島根県東部)平定を報告して、出雲(いずも)が弥生時代後期に青銅器文化が衰退して、鉄器文化が隆盛して、出雲(いずも)の蹈鞴(たたら)製鉄と日本神話を結(むす)ぶ考古学的証拠(遺跡・遺物)と求めた。
『ホツマツタエ』のアメマヒトツ(天目一箇;武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)は、6代目タカミムスビ(高皇産霊;景行(けいこう)天皇を神格化)の孫で、景行(けいこう)天皇の息子の武虎別皇子(たけこわけのみこ)が武渟川別(たけぬなかわわけ)に父で、武虎別皇子(たけこわけのみこ)を7代目タカミムスビと天津彦根命(あまつひこねのみこと)に神格化して、出雲王家(物部(もののべ)氏)の一番最初の先祖である彦坐王(ひこいますのみこ)と結(むす)び付いて、天目一箇神(あめまひとつのかみ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の結論になった。
神鏡と神剣のレプリカ(複製品の形代;かたしろ)は、八咫鏡(やたのかがみ)と八重垣剣(やえがきのつるぎ)で、『ホツマツタエ』の八重垣剣(やえがきのつるぎ)と他書の天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の別名が八重垣剣(やえがきのつるぎ)の記述から、八重垣剣(やえがきのつるぎ)と天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ;別名が草薙剣:くさなぎのつるぎ)が別の神剣で、両方の神剣が共(とも)に皇位継承物の三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)で間違いない。
天目一箇神(あめまひとつのかみ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、鍛冶師(かじし)の古代豪族である鍛治(かぬち)氏の祖先神で、鍛治(かぬち)氏が出雲王家(物部(もののべ)氏)の遠戚(えんせき;遠(とお)い親戚)で、出雲王家(物部(もののべ)氏)が出雲(いずも;島根県東部)の青銅器文化と鉄器文化と蹈鞴(たたら)製鉄などと深く関係して、天目一箇神(あめまひとつのかみ)が金属や、出雲神話と深く関係した神様である。

中国や朝鮮の製鉄は、間接製鋼法と呼んで、鉄鉱石を加熱や溶融して、溶けた鉄鉱石を撹拌(かくはん)して、銑鉄(せんてつ)を生産してから鋼(はがね)を作るのが主流で、吉備(きび;岡山県と広島県東部)の製鉄が鉄鉱石を使った。しかし島根県や鳥取県は、鉄鉱石が少なくて、砂鉄から鉄を作る日本刀の蹈鞴(たたら)製鉄の直接製鋼法を独自に生み出して、鉄鉱石や砂鉄を比較的低い温度で加熱して、溶融せず直接に海綿状の鉄塊(てっかい)にする方法で、日本独自の蹈鞴(たたら)が出雲で誕生したと考えられるが、蹈鞴(たたら)がどのように生まれたか謎である。
神武(じんむ)天皇(仁徳(にんとく)天皇を祖先化)の皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと;磐之媛命(いわのひめのみこと)を祖先化)は、仁徳(にんとく)天皇2年3月8日(西暦335年4月上旬頃)に4つ子の息子を生んだことで皇后になって、6月(7月頃)に産後の病状が悪くて亡くなって、4世紀前半に蹈鞴(たたら)製鉄が存在したと考えられて、磐之媛命(いわのひめのみこと)が出雲(いずも;島根県東部)王国(物部(もののべ)氏)の系譜である。
神武(じんむ)天皇(崇神(すじん)天皇を祖先化)の皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと;御井津比売(みいつひめ)を祖先化)は、崇神(すじん)天皇元年2月16日(西暦84年3月中旬頃)に10才で皇后になって、崇神(すじん)天皇29年1月1日(西暦112年2月上旬頃)に綏靖(すいぜい)天皇(垂仁(すいにん)天皇を祖先化)を生んで、1世紀後半に蹈鞴(たたら)製鉄が存在したと考えられなくて、4世紀前半の磐之媛命(いわのひめのみこと)の人名から、4世紀前半までに出雲の物部(もののべ)氏が蹈鞴(たたら)製鉄を完成させたと考えられる。
蹈鞴(たたら)製鉄と媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと;磐之媛命(いわのひめのみこと)を祖先化)の関係は、4世紀前半までに出雲(いずも;島根県東部)の物部(もののべ)氏が蹈鞴(たたら)製鉄を完成させて、物部(もののべ)氏が弥生時代後期に衰退(すいたい)した青銅器文化と、同時代に隆盛(りゅうせい)した鉄器文化とも関係して、出雲(いずも)の金属文化(青銅器と鉄器)が物部(もののべ)氏との関連性と考古学(遺跡・遺物)が証明した。

三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)のヤエガキノツルギ(八重垣剣)は、「ヤエガキ(八重)」がツルギ(剣)を一般人に受けさせないための、犯罪予防に重点を置(お)いた名前で、人々が自分の幸(しあわ)せのために罪(つみ)を犯(おか)させなくする垣(かき)を、八重(やえ)に回(まわ)した意味での「ヤエガキ(八重)」で、出雲国(いずものくに;島根県東部)の「ヤエガキ(八重)」も、出雲王家(物部(もののべ)氏)が犯罪者を取(と)り締(し)まる警察機能を持つことを意味したと考えられる。
ヤエガキノツルギ(八重垣剣)の名前は、実在した初代天皇の崇神(すじん)天皇時代からずっと変わらず、三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)の神剣として、呼称され続けたと考えられて、ツルギ(剣)が前段階のホコ(矛)の他(ほか)に、タチ(太刀)やカタナ(刀)の呼称もあって、4つの呼称が実際の形状に区別があったのか、考古学(遺跡・遺物)の研究結果を期待(きたい)したい。

ハタレの乱(らん)でヤエガキノツルギ(八重垣剣)は、垂仁(すいにん)天皇5年から7年(西暦156年から158年)の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱(倭国大乱;わこくたいらん)で、カナサキ(金析;野見宿禰(のみのすくね)を神格化)を中心の武将に据(す)えて、日本武(やまとたけ)天皇元年(西暦251年)から仲哀(ちゅうあい)天皇9年神無月(西暦260年11月中旬頃)の出雲王国(物部(もののべ)氏)の崩壊(ほうかい)まで、フツヌシ(経津主;武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)を中心の武将に据(す)えて、授(さず)けたことが天皇の代官に当たると考えられる。
ハタレの乱(らん)平定後は、スサノヲ(素戔嗚;日本武(やまとたけ)天皇を神格化)が朝廷に復帰して、イツモ(出雲;いずも)のクニカミ(国神;国守)に任命された時にヤエガキノツルギ(八重垣剣)を授(さず)かって、西暦251年に日本武(やまとたけ)天皇が反乱(皇位継承権争い)して、出雲(いずも;島根県東部)にヤエガキノツルギ(八重垣剣)などの三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)を持ち去って、皇位継承物の三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)が出雲(いずも)に強奪された証拠である。
ヤエガキノツルギ(八重垣剣)を持つスサノヲ(素戔嗚;日本武(やまとたけ)天皇を神格化)は、島根県松江市の八重垣(やえがき)神社の祭神で、『古事記』で「八雲立(やくもた)つ 出雲八重垣(いずもやえがき) 妻込(つまこ)めに 八重垣造(やえがきつく)る その八重垣(やえがき)を」と和歌を詠(よ)んで、『ホツマツタエ』がスサノヲの宮殿の「ヤエガキ(八重垣)」が後の出雲大社と記して、日本武(やまとたけ)天皇と出雲王家(物部(もののべ)氏)の親密な関係性を証明して、出雲王家(物部(もののべ)氏)と日本武(やまとたけ)天皇の直系子孫が出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏で、超天才の僕が全(すべ)て特定した。
スサノヲ(素戔嗚;日本武(やまとたけ)天皇を神格化)の宮殿の「ヤエガキ(八重垣)」は、出雲大社の祭神の素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武(やまとたけ)天皇を神格化)を証明して、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と出雲大社が切っても切れない非常に大切な関係で、日本神話と史実(歴史上の事実)を超天才の僕が全(すべ)て求めた。
三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)のヤエガキノツルギ(八重垣剣)は、皇位継承の証(あかし)だから、カナサキ(金析;野見宿禰(のみのすくね)を神格化)とフツヌシ(経津主;武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)とスサノヲ(素戔嗚;日本武(やまとたけ)天皇を神格化)などの武神が簡単に持ち出せないはずで、あくまで神話としての物語で、本当の史実(歴史上の事実)を神話化してないと考えられる。

『ホツマツタエ』は、5代目オオモノヌシ(5代目出雲国王の物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)が養子にした6代目オオモノヌシ(6代目出雲国王の彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)を神格化)をアオカキトノ(青垣殿;奈良県桜井市の神坐日向(みわにますひむかい)神社)に住まわせて、彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)の神櫛皇子(かんぐしのみこ)に先祖伝来のムラクモノツルギ(天叢雲剣;あめのむらくものつるぎ)を譲(ゆず)って、物部(もののべ)氏の神剣が草薙剣(くさなぎのつるぎ)の可能性が高い。
八岐大蛇(やまたのおろち;滝祭神(たきまつりのかみ)を怪物視)は、蛇体の古代太陽神で、島根県出雲市の斐伊川(ひいかわ)の流れを神格化した蛇神で、出雲大社のセグロウミヘビ(背黒海蛇)を神格化した龍蛇神(りゅうじゃしん)に当たって、伊勢神宮の横を流れる五十鈴川(いすずがわ)を神格化した蛇神の滝祭神(たきまつりのかみ)を怪物視したの古代太陽神にも当たって、出雲王家(物部(もののべ)氏)の神剣が草薙剣(くさなぎのつるぎ;天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と同一物)の可能性が納得(なっとく)できる。

『ホツマツタエ』8章のハタレの乱(らん)は、ハタレ(外(はた)れ)の術(じゅつ)にムラクモ(群雲;叢雲:厚(あつ)く群(むら)がった雲のこと)を起こす方法があって、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と関係する可能性が高いが、僕の史料整理が超忙(いそが)しいために求めてない。
『ホツマツタエ』10章の出雲(いずも;島根県東部)の国譲(くにゆず)り神話は、当時の出雲で益人(ますひと;準国司:じゅんこくし)が天押日(あめのおしひ;飯入根(いいいりね)を神格化)で、昔の悪縁(あくえん)から胡久美(こくみ;日本武(やまとたけのみこと)天皇を神格化)などの悪人が集(あつ)まって、早子(はやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)を中心として、胡久美(こくみ)と早子(はやこ)の夫婦(日本武天皇と弟橘姫)などの悪人集団が大蛇(おろち)を形成して、大蛇(おろち)がハタレ(日本武天皇の反乱(皇位継承権争い)の国賊たち)の一歩手前(てまえ)の悪人である。
益姫持子(ますひめもちこ;八坂高依媛(やさかたかよりひめ)を神格化)と小益姫早子(こますひめはやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)の姉妹は、月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と瀬織津姫(せおりつひめ;八坂高依媛(やさかたかよりひめ)を神格化)への怨念(おんねん)を爆発させて、持子(もちこ)が九頭大蛇(こがしらのおろち)で、早子(はやこ)が八岐大蛇(やまたのおろち)になって、八岐大蛇(やまたのおろち)の尻尾(しっぽ)から出てきたのが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)で、その時に天空に雲が群(むら)がったため名付けた。
メソポタミア文明の最初にいたシュメール人は、5500年前頃に現れて4千年前頃に突然姿を消して、シュメールや古代バビロニアの三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)が日像鏡と月像の首飾りと武神の剣で、三種の神器が鏡と玉と剣で、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)が首飾りなら、合致するのが偶然でなく、シュメール神話で7つの首の竜を倒して、武神の剣を入手して、武神の素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、8つの首と尾の八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を入手して、4千年以上前のシュメール神話を日本神話に取り込んだと考えられえる。
『ホツマツタエ』の日本神話が完成した7世紀前半から中頃は、メソポタミア文明の遺跡が土の下で、シュメール神話の楔形(くさびがた)文字の粘土板(ねんどばん)を誰も知るはずがなく、理論的に成立しない矛盾(むじゅん)だが、現代から数十年から数百年後からタイムトラベル(時間移動)した未来人の聖徳太子(未来の一般氏名が不明)が日本神話を作成して、世界中の神話の特徴を取り込んだと考えられる。

『ホツマツタエ』のムラクモノツルギ(天叢雲剣;あめのむらくものつるぎ)は、スサノヲ(素戔嗚;日本武(やまとたけのみこと)天皇を神格化)の子孫(本当は嘘;うそ)の6代目オオモノヌシ(大物主;神櫛皇子(かんぐしのみこ;彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)と同一人物)を神格化)から、初代天皇の神武(じんむ)天皇(仁徳(にんとく)天皇を祖先化)に継承して、かつて三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)の八重垣剣(やえがきのつるぎ)と天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が入れ替わった僕の自論が成立する。
十種(とくさ)の神宝(かんだから;とくさたから)のムラクモノツルギ(天叢雲剣;天村雲剣;あめのむらくものつるぎ)は、全く別の神剣とするが、三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)の天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ;草薙剣(くさなぎの)と同一物)と同じ物で、アマテルカミ(天照神;神功(じんぐう)皇后を神格化)から、初代ホノアカリ(火明;誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)を神格化)に譲渡(じょうと)して、さらに2代目ホノアカリ(火明;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)に譲渡(じょうと)して、さらに神武(じんむ)天皇(仁徳(にんとく)天皇を祖先化)に継承して、2つの神剣が同一と考えられる。
同一神の初代・オオモノヌシ(大物主;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)と2代目ホノアカリ(火明;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、子孫の6代目オオモノヌシ(大物主;神櫛皇子(かんぐしのみこ;彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)と同一人物)を神格化)にムラクモノツルギ(天叢雲剣;天村雲剣;あめのむらくものつるぎ)を継承して、神武(じんむ)天皇(仁徳(にんとく)天皇を祖先化)に譲渡(じょうと)して、根本的・理論的に別の神剣と思わせたが、超天才の僕が同じ物と結論付けた。
国宝『海部(あまべ)氏系図』は、建田勢命(たけたせのみこと)が「古記に云(い)う、この命(みこと)は、天御蔭鏡(あめのみかげのかがみ)と天村雲之刀(あめのむらくものかたな)をもって、二璽神宝(ふたつのみしるしのかんだから)と為(な)す」と記して、二種の神器の八咫鏡(やたのかがみ)と天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と考えられて、出雲(いずも)王家(物部(もののべ)氏)と海部(あまべ)氏が最初の先祖を彦坐王(ひこいますのみこ)として、国宝『海部(あまべ)氏系図』の伝承が三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)の神剣につながる。

八重垣剣(やえがきのつるぎ)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)は、新旧の三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)である神剣を指(さ)して、その詳細を分析・研究したのを2026年6月27日の午後1時58分に記し終えた。

<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社
『古事記(上)(中)―全三巻―』
著者・次田真幸 発行・株式会社講談社
『ホツマ辞典』
著者・池田満 発行・ホツマ刊行会
『完訳秀真伝』
編著者・鳥居礼 発行・八幡書店
インターネットの不明サイトから少々拝借

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