浦島太郎の正体

はじめに
おとぎ話の三太郎は、有名な浦島太郎と桃太郎と金太郎で、僕が3人とも天皇家に関係すると考える。
桃太郎のモデルは、孝霊(こうれい)天皇の息子の吉備津彦(きびつひこ)で、僕の研究から垂仁(すいにん)天皇(西暦152年から190年在位)の皇子の祖別命(みおやわけのみこと)に当たる。
金太郎のモデルは、清和(せいわ)天皇の子孫である源頼光(みなもとのよりみつ)の四天王の一人・坂田金時(さかたのきんとき)で、坂田金時の子孫を名乗る一族も実在する。
浦島太郎だけは、誰をモデルにするか全く分からないと思われるが、僕からすれば簡単に候補を求められる。浦島太郎のモデルは、日本神話に登場する火火出見尊(ほほでみのみこと)とする説があって、厳密に言えば父親の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)も含んで、その親子の神様に神格化された人物こそ真の正体だろう。
浦島太郎は、『日本書紀』と『丹後国風土記』などに記して、少なくとも西暦720年以前から存在した物語で、『日本書紀』が浦島太郎の物語を雄略(ゆうりゃく)天皇時代に記す。雄略天皇は、定説で倭の五王の倭王「武」に当たるが、明確な根拠など一つもなくて架空の推論で、自論なら雄略天皇が倭の五王の倭王「珍」と求めて、西暦430年代頃の人物と考えられる。
『日本書紀』に浦島太郎の物語は、雄略天皇時代に書かれて、それ以前の時代の人物という可能性がないわけでない。
少なくとも浦島太郎の物語の成立は、倭の五王の時代より前の可能性が高く、僕の自論が西暦260年から350年くらいの物語になる。
『丹後国風土記』で浦島太郎は、日下部首(くさかべのおびと)らの先祖と書かれて、『古事記』に彦坐王(ひこいますのみこ)の息子の狭穂彦王(さほひこのみこ)が日下部連(くさかべのむらじ)の先祖と記して、浦島太郎が日下部氏の先祖でなく出身と考えられる。
浦島太郎を祭る神社は、京都府与謝郡伊根町の宇良(うら;浦島)神社で、本殿に浦島太郎を相殿に月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)を祭って、月読尊の子孫が浦島太郎と言う。
この先祖を記す情報と僕の知識を合わせたのは、僕が求めた系図で、これこそ正統で、十分な根拠を持つと考えられる。
景行(けいこう)天皇を祖先化し安寧(あんねい)天皇の人名の日本語名が『日本書紀』の磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみのみこと)は、「玉手看(たまてみ)」が「玉手箱(たまてばこ)を看(み)る(見る)」意味で、浦島太郎の先祖の月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)を指すと考えられて、これを2026年8月23日の朝に記した。
ネット検索の玉手箱(たまてばこ)は、西暦何年の何時代から確認されるか、情報がヒットせず分からないが、8世紀前半の西暦720年に献上した『日本書紀』に浦島太郎を記すため、玉手箱(たまてばこ)が西暦720年当時に認識されて、安寧(あんねい)天皇の人名の日本語名が把握されたと考えるのが自然である。
『ホツマツタエ』に記す彦坐王を神格化した2代目・火明命(ほあかりのみこと)は、火に関わる出生を持つとされる。
彦坐王の息子の狭穂彦王を神格化した軻遇突智(かぐつち)は、別名を火産霊(ほむすび)で、「産霊」が生み出すという意味を持って、僕の最初の著書『古代日本史への挑戦』で記す「カグツチ」の章で、火産霊が火をつかさどる神様を生み出す意味だと考えて、系図を示した。
その系図は、狭穂彦王が古代豪族の物部(もののべ)氏の先祖に位置付けられて、狭穂彦王の娘の高田媛(たかだひめ)が景行天皇の妃となって、生んだ武虎別皇子(たけこわけのみこ)が天津彦根命(あまつひこめのみこと)や7代目タカミムスビとして神格化される。
狭穂彦王の娘の高田媛は、垂仁天皇7年(西暦158年)より前に生まれて、夫の景行天皇が垂仁天皇20年真冬(西暦170年12月から171年2月頃)に生まれて10才以上年上で、天皇の妃として容姿や性格も重視されるが、それ以上に重視したのが出雲王家(物部氏)の血筋と考えられる。
『ホツマツタエ』に7代目タカミムスビの娘のタクハタチチヒメは、その息子がニニキネと記して、武虎別皇子の娘の神功皇后、その息子で皇太子の誉田別尊をそれぞれ神格化した。
武虎別皇子は、天津彦根命で、誉田別尊が瓊瓊杵尊である時、『日本書紀』に瓊瓊杵尊の正式名称として、天津彦根火瓊瓊杵根尊(あまつひこねほのににぎねのみこと)と記して、2人が血縁関係に当たると考えて良い。
狭穂彦王を神格化した火産霊の子孫は、火に関わりがないが、火瓊瓊杵尊(ほのににぎのみこと)に神格化した誉田別尊(ほむだわけのみこと)、その息子の仁徳(にんとく)天皇が火に関わる出生を持つ火火出見尊に神格化した。
浦島太郎の系図を通して神功皇后は、物部氏の出身の可能性が高まって、皇太子の誉田別尊と仁徳天皇の親子が物部氏の血筋で、浦島太郎の正体に当たる可能性が高まった。
浦島太郎の日本神話
浦島太郎の物語は、日向(ひうが;宮崎県)の海幸彦(うみさちひこ;火酢芹命:ほすせりのみこと)と山幸彦(やまさちひこ;火火出見尊)の神話に基(もと)づく説があって、山幸彦(火火出見尊)が仁徳天皇を神格化して、海幸彦(火酢芹命)が仁徳天皇の異母兄弟の大山守皇子(おおやまもりのみこ)を神格化した。
海幸彦と山幸彦の神話は、日本神話でも最も史実を反映(はんえい)して、神話化したと考えられるが、僕がかなり遅くに求めた神話でもあって、海幸彦と山幸彦の神話が間違いなく、浦島太郎の物語の基盤と考えられる。
京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社は、火火出見尊(誉田別尊を神格化)が宮崎県に向かう時、塩土老翁(しおつちのおじ;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)が作った籠船(かごふね)に乗った伝承があって、また火火出見尊(誉田別尊を神格化)が雪の中で、籠(かご)に乗って出現した伝承もある。
摂政3年1月3日(西暦263年2月上旬頃)に2歳弱の誉田別尊は、奈良県で立太子(りったいし;皇太子になること)して、三種の神器を持たせて、大臣の初代・武内宿禰が作らせた船で、大阪府の港から宮崎県に行かせて、京都府宮津市の元伊勢籠神社の神話に神話化したと考えられる。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊を神格化)の天孫降臨神話は、大阪府の港から宮崎県に向かったはずで、京都府宮津市の港から向かったわけがなく、京都府与謝郡伊根町の宇良(うら;浦島)神社の浦島太郎と京都府宮津市の元伊勢籠神社で、火火出見尊の船出(ふなで)の神話が合致したと考えられて、京都府宮津市の元伊勢籠神社の神話や海幸彦と山幸彦の神話の合致が浦島太郎の正体を求める大きなヒントである。
浦島太郎の記述
『日本書紀』雄略天皇22年7月に次のような浦島太郎の記述がある。
「丹波国(たんばのくに)の余社郡(よさのこおり)の管川(つつかわ)の人瑞江浦嶋子(みずのえのうらしまこ)、舟に乗りて釣す。
遂(つい)に大亀(かめ)を得たり。
便(たちまち)に女(おとめ)に化為(な)る。
是(これ)に、浦嶋子、感(たけ)りて婦(め)にす。
相逐ひて海に入る。
蓬莱山(とこよのくに)に到りて、仙衆(ひじり)を歴(めぐ)り観る。
語(こと)は、別巻(ことまき)に在り。」
このように記す記述はかなり断片的だが、この内容から推定すると誉田別尊と仁徳天皇の親子を指すと考えられる。
江戸時代に板本として刊行された浦島太郎の物語は次のような物である。
昔、丹後国(たんごのくに)に浦島という人がいて、その息子に浦島太郎という男がいて、年齢が24か25だった。
浦島太郎は漁師で父母を養(やしな)ってある日、釣りに出て亀を釣り上げる。
「生あるものの中でも鶴は千年、亀は万年と言って命が尊いもので、命を取らず助けて、その恩を返してくれ」と言って亀を助けて、日暮れになって帰った。
翌日また釣りに出かけた所、はるか海上に小船が一つ浮かんでいて、あやしんで見ると中に美しい女性がいて、そうこうするうちに船が浦島太郎の所にやって来た。
聞くとその女性はある所に行く途中に海が荒れて、ようやくここまで流されてきたと言う。
どうか自分を本国まで送ってほしいと頼み込むので、浦島太郎はかわいそうに思ってその女性の船に乗って送って行った。
10日ばかりの船旅の後に女性の故郷に着き、女性の屋敷は銀の築地をついて、金の甍(いらか)を並べて門も立て、いかなる天上の住居もこれに勝るものがない見事なものだった。
さらに女性は浦島太郎にこうして会えたのも何かの縁だから夫婦になろうと言い、それに同意して竜宮城で夢のような3年間を送る。
しかし浦島太郎は自分が養った父母のことを思い出した。
「私に30日の暇(いとま)を下さい。
故郷の父母を見捨て、かりそめに出て3年を送ってみれば、父母の無事を心もとなく思えば、戻って確かめたい」と言って一時のいとまごいを願うと、女性はさめざめと泣いた。
「今は何も包み隠さない。
自分はこの竜宮城の亀で磯(いそ)にてあなたに命を助けられて、そのご恩に報(むく)いるために夫婦になりました」と言って女性は、ついに自分が浦島太郎に助けられた亀だと正体を明かす。
「またこれは自分の形見として持って行って下さい」と言って一つの箱を取り出して、「決してこの箱を開けてはなりません」と言って渡す。
浦島太郎は名残(なご)りを惜(お)しみつつ箱を手にして、はるか波路を越えて故郷に帰る。
浦島太郎が故郷に帰ると辺りがすっかり変って、そこは野辺になっていた。
ようやく柴(しば)の庵(いおり)を見つけて声をかけると80歳くらいの翁(おきな)が出てきて、浦島太郎は自分のことを尋ねると、700年前にそのような人物がいたと知らされて驚く。
そして浦島太郎自身の廟所(びょうしょ)という古い塚と石塔を教えてもらい、そこを訪れて涙にくれて、ついに開けてはならないと言われた箱を開ける。
すると紫色の雲が3筋上がり、浦島太郎はたちまち老人になる。
そして浦島太郎は鶴になって飛び去って蓬莱山(ほうらいさん)に行き、丹後国に戻って浦島明神として現れる。
亀も同じ所に神として現れて、夫婦の明神となってめでたしとつづられる。
江戸時代の浦島太郎は、かなり追加されたが、誉田別尊と仁徳天皇の親子の物語を再現した所が大きいと思われて、その内容のモデルは間違いなく実在した皇太子と天皇の親子と考えられる。
誉田別尊と仁徳天皇
4代目で西暦252年から260年まで在位した仲哀(ちゅうあい)天皇は、その妻で夫亡き後に摂政(せっしょう;天皇に代わって政治を行なう役職)として、西暦261年から329年まで在位した神功皇后の間に生まれたのが皇太子の誉田別尊である。
仲哀天皇9年(西暦260年)に仲哀天皇は、自分の父親で皇太子の日本武(やまとたけ)天皇の亡命した出雲王国を攻撃したが、その途中で病死したと記すが、戦死した可能性が高くて、その後を受けて誉田別尊を身ごもった神功皇后が出雲王国の攻撃を続ける。
出雲振根(いずもふりね)こと日本武天皇は、婿(むこ)養子で7代目出雲国王の飯入根(いいいりね)を殺して、それを知った神功皇后が義父の日本武天皇を殺して、出雲王国が崩壊して、東北地方南部から九州全までが古代天皇家の統治下となった。
仲哀天皇9年12月14日(西暦261年1月中旬頃)に誉田別尊が生まれた土地は、宇瀰(うみ)と呼んで、福岡県粕屋郡(かすやぐん)宇美町(うみちょう)とされる。
しかし僕の反論で「うみ」と名付けられた古代地名から、島根県出雲市平田の地名が『出雲国風土記』楯縫郡で「宇美・宇美社」と記されて、ここが誉田別尊の出生地でないかと考えられる。
もう一つの出生地の候補が京都府与謝郡伊根町の宇良神社で、「うみ」に発音の近い「うら」であること、浦島太郎のモデルが誉田別尊だろうこと、出雲から船で帰って生んだなどの理由が考えられるためで、出雲王国の存在が考古学から完全に認められず、誉田別尊の出生地を求めるのが歴史書に頼(たよ)るしかない。
日本武尊が出雲王国に亡命したのは、三種の神器を強奪して日本武(やまとたけ)天皇として強行即位したからで、日本武尊の戦死で神功皇后の手元に三種の神器が戻って、三種の神器を取り戻した神功皇后が悲劇を繰り返さないため、京都府北部から生まれたばかりの息子の誉田別尊を三種の神器と共に日向に行かせる。
これを神話化・神格化したのは、天照大神(あまてらすおおみかみ;神功皇后を神格化)の命令で、忍穂耳尊(おしほみみのみこと;仲哀天皇を神格化)と栲幡千千姫(たくはたちちひめ;神功皇后を神格化)の間に生まれた瓊瓊杵尊(誉田別尊を神格化)に三種の神器を託して日向に降臨させて、宮崎県を天皇家の故郷とする理由が誉田別尊と仁徳天皇の育った土地だからである。
京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社に祭る火火出見尊(火明命と同一神とする考え方もある)は、籠船(かごふね)に乗って竜宮に行った伝承があって、浦島太郎の物語の有力な根拠で、神功皇后が誉田別尊を送り出した地が宇良神社で、誉田別尊が生涯母に会うことなく、宮崎県で亡くなる。
誉田別尊と景行天皇の息子である五百城入彦皇子(いもきいりひこのみこ)の孫の仲姫(なかひめ)との間に生まれた仁徳天皇は、神格化したのが瓊瓊杵尊(誉田別尊を神格化)と妻の木花開耶姫(このはなのさくやひめ;仲姫を神格化)と息子の火火出見尊(仁徳天皇を神格化)に当たる。
浦島太郎と妻の亀が住んだ竜宮城は、宮崎県のどこかにあった誉田別尊と妻の仲姫と息子の仁徳天皇が暮らした王宮で、誉田別尊が皇太子で天皇でなく、仁徳天皇も即位する前の皇子として暮らしたわけで、皇居と呼べない。
神功皇后の摂政69年4月17日(西暦329年5月中旬頃)に神功皇后は、99才で亡くなって、古代天皇家の全権が大臣の初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)に一任されて、祖母の死が宮崎県の仁徳天皇の元に知らされて、天皇として大和で即位するために仁徳天皇は船旅に出て、母の仲姫が夫の眠る宮崎県に残った。
仁徳天皇は、大和で初代・武内宿禰から、政治の全権を託されて、5代目の天皇として即位して大和朝廷がさらに隆盛するが、仁徳天皇がそれから生涯母の仲姫と再会できなかった。
誉田別尊が生涯母の神功皇后に会えず、仁徳天皇が即位してから生涯母の仲姫に会えなかったのが、浦島太郎が母親を見捨てて、妻の亀に会えなくなった伝承につながる。
開けてはならない玉手箱の正体は、絶対に見てはならない三種の神器だと考えられて、江戸時代に熱田(あつた)神宮の大宮司その他4、5人の神職が三種の神器の一つ草薙剣(くさなぎのつるぎ)を見て次々に死んだという記録があって、三種の神器が絶対に見ることが許(ゆる)されない呪物なのか?
<参考文献>
『古代日本史への挑戦』
著者・僕 発行・株式会社オカムラ
『丹後半島歴史紀行 浦島太郎伝説探訪』
著者;瀧音能之・三舟隆之 発行・株式会社河出書房新社
『ホツマ辞典』
著者・池田満 発行・ホツマ刊行会
『日本書紀(上)全現代語訳―全三巻―』
著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社
『日本古代地名事典』
著者・吉田茂樹 発行・新人物往来社
『BooksEsoterica第22号 天皇の本 日本の霊的根源と封印の秘史を探る』
発行・株式会社学習研究社
『元伊勢籠神社御由緒略記』
発行・元伊勢籠神社社務所
『総図解よくわかる日本の神社』
著者・渋谷申真 発行・株式会社新人物往来社
インターネットの不明サイトから少々拝借
戻る